2024年12月22日
耐震補強工事は家屋を一部取り壊し、その後復旧するプロセスですので、ほとんどの耐震補強工事では、復旧兼ねた改修工事が実施され、改修のほうが金額は大きくなります。
そのため、改修工事として1本の契約、耐震補強工事はその一部に含むという方式も相当数あるようですが・・「改修工事の内容を決める間に耐震補強を終わらせたい」という時間的な側面から、今回は耐震補強工事と改修工事の契約は分離。近所の工務店は「第三者」として工事内容等のチェックをしてもらいたいと考えて、耐震診断を行った事業者と直接契約です。
耐震診断の結果及び補強原案の説明を受けた12月末に依頼した図面の変更作業が終了次第~正月休み明けには契約締結となる予定でした。しかし、新年元旦に能登半島地震が発生し、能登地域ほどではありませんが母親宅も影響を受け、プランの変更要請を行う必要が生じました。
「倒壊したのではないか」と心配した長女から地震後に連絡がありましたが、家がきしむ音が地震後も続くなど、確かに心配な状況ではありました。年末の診断結果で、数値は0.1未満と確定していたのも、その心配を増幅したのでしょう。母親宅と長女宅にある古い灯篭がそれぞれ倒壊した明らかな被害のほかは、母親宅の階段下のドアが開かなくなっていることが確認されました。
家を支える中心の「通し柱」が地震の影響で下がり、扉の枠が長方形から平行四辺形に変形・・扉が開かなくなったと推定されました。正月休み明けに当該事業者及び工務店による現地確認を経て、当該通し柱の立ち位置の復旧、当該通し柱周辺の補強(筋交い等)の位置変更・強化を要請して、1月下旬に契約締結~解体工事(前回)の後に補強工事が始まりました。
まずは問題の通し柱の位置の復旧=少しずつジャッキアップして、下部に金属板を入れて支持するという作業を繰り返し、その周辺の柱も何本か同じ作業が進められました。これに失敗すると大惨事になりますので、職人の方も慎重に作業をしている姿が印象的でした。これにより元ドアだった場所は、概ね長方形に修正されましたが、当該部分は、上部の階段を支える場所でもあったので、筋交い+金具連結による壁として強化・・扉位置(階段下の納戸への出入り口)は別の場所に移動となりました。
その後の耐震補強は、簡略化すると和室4室・柱9本で支えていた基本構造を各ブロックに柱+筋交い+金具連結を追加する=襖・障子を壁に変えることをメインに、外壁部分も同じように四方に補強する場所を新設するというものです。襖・障子等を撤去して見通しの良くなった空間(昔の冠婚葬祭の実施状態)が、工事の進捗とともに、徐々に柱と筋交いで遮断(写真)されて、それぞれが独立した空間になっていくという感じです。
費用見積もりは、仮設工事・解体工事・外壁復旧を除く、補強工事本体のみで約1万円/㎡程度でした。耐震補強工事自体の補助制度は、第2回記載の理由により活用していませんが、仮に基礎部分がコンクリートの老朽住宅であれば、補強工事の大部分は補助制度で賄われるのではないかと思われます。
なお、実際の耐震補強工事の契約額は、上記額の約3倍でしたので、補強工事前後の仮設工事・解体工事・外壁復旧のほうが費用がかかるものだと初めて知った次第です。