老朽住宅改修 第6回 最初は家からの物品搬出~搬出先の確保から

2024年12月15日

母親宅の木造部分は築70年~古い家には収納部分が少なく、かつ両親は物を捨てるのが嫌いな面があるため、木造部分の床には物があふれていました。

 

当該家屋は、当初は木造部分だけの住宅であり、記録では1Fは120㎡ほどの面積で、自宅での冠婚葬祭を想定した田の字型の和室4室をメインに、薪を燃料とする囲炉裏、竈などの生活部分がありました。2Fは50㎡ほどの面積で、居住空間ではなく農家用住宅としての物置・食品保管庫として利用されていたと記憶しています。
姉や私の成長に応じて、2Fを両親と子供の居住空間として改修し、1Fは祖父母が利用するという形に変化しました。しばらくして祖父が亡くなり、約50年前に、木造部が一部取り壊され、鉄骨部を増築した経過です。

その後、姉や私が大学進学で家を出て、祖母も亡くなり、広い家に両親の2人住まいとなりましたが、5人の頃の生活物品がそのまま残されていました。また、将来使うことのない自宅での冠婚葬祭用の物品もそのまま~両親の衣服は少しずつ毎年購入する一方で古い物は保管、結婚式等でいただく品物はそのまま保管と置く場所があるので、かえって物が積み重なり、よほど気合をいれないと手を付けられない状態。特に2Fは「ゴミ屋敷」の様相でした。

 

最初の工事は木造部の耐震工事というのは決まっていましたので、木造部にある正体不明の物品も含めて、原則、全てを搬出(大型仏壇だけは勘弁してもらいました)することが必要になりました。覚悟を決めて何があるかを確認~概ね3つのグループに区分して、それぞれの保管場所を確保するのが第1段階の仕事です。

「鉄骨部に退避=重量物で家から搬出が難しいもの等」「車庫に退避=電化製品・食器類等」「農業用小屋に退避=布団・座布団・衣類等」の3区分ですが、父親が健康な頃に農作業をしていた農業用の有休施設が使えなかったら、この物品移動・退避は何倍も大変だったでしょう。

なお、布団等の退避先の農業用小屋の2Fは、父親の代は、機械で乾燥した籾を一時保管(その後、1Fで自前で脱穀)する場所でしたが、その後の未利用・放置時代に雨漏りがあったようで、床が不安な状態でした。そのため、改修工事発注予定の工務店に至急の床張り(既存の床上に厚めの合板を重ね張り)を依頼し、物品移動の予定日に何とか間に合いました。

 

第2段階の物品移動は、障碍者就労支援事業者のYOUサポートの出番です。これまでも父が亡くなった時の農業用小屋1Fの物品廃棄などを依頼していますので、手慣れた仕事ぶりです。まず家の2Fにあふれている物品を家の1Fに移動、その後、家では使わないことが確実な畳20枚程度を小屋の2Fの一角に敷き詰めて準備完了。あとは3つの区分に沿って力仕事です。最初の畳の移動が最も大変のようでしたが、予定通りに1日で完了しました。

 

最終段階は物品の仕分け=残すものと捨てるものの区分でしたが、最大の課題はそれぞれ10を大きく超える敷布団・掛け布団・毛布等と30枚を超える座布団の山の処理でした。昔の冠婚葬祭や親戚の宿泊を想定した物品の山ですが、寝具は常時使用するもの、来客宿泊用で使用するもの、小屋で保管する予備用とそれぞれ数を決めて、大きめの収納袋を必要数購入~あとは廃棄と方針決めです。
実際に廃棄品を仕分けし、残すものをクリーニングに出し、袋詰めにするのは奥方の仕事です。布団・座布団だけでも一応の整理(写真)がつくまでに2か月以上は要したでしょうか・・

 

これらの整理の結果、2tトラック1台分以上の廃棄品(次回の解体事業者による大型家具等の処分を除く)が出ました。一連の小屋の床はり、物品移動・廃棄(その後の物品移動等も含む)でトータル20万円程度です。安いと思うか、高いと思うかは人それぞれでしょうが、30年~40年分の「滞貨一掃」としては、相当安いという実感です。

なお、奥方の働きに対しては、御礼しかありません。ありがとうございました。