2019年8月8日
医療や福祉分野では、事業実施や報酬算定の基準として、「会議を行うこと」というものが結構あります。
これには、
「患者や利用者の状況を継続して見ている職員は一人もいないので、各職員が断片的に把握した状況を総合する必要がある」、
「院内感染などの発生について職員が広く把握して同一の行動をとることが必要である」、
「ある一個人の見方だけで状況を判断して行動することが、患者や利用者にとって高いリスク(死亡等)の顕在化につながりやすい」といった実質的な意味のほか、
「会議という形式をとることで記録に残しやすく、事後チェックがしやすい」という形式的な意味(行政側の都合)もあります。
しかし、実質的な意味の事例として挙げた3点は、必ずしも会議という形式ではなくても別の情報伝達の方法でも同じ以上の効果を出すことは可能です。例えば、張り紙・板書といった伝統的な方法から、診療や支援の記録システムやメール会議等の活用といった方法など、いろいろと考えられます。現に、伝統的な方法を採用し、職員への周知度を高めつつ残業を減らしたという事例もあります。
さて、個人的な実感としては、情報伝達・意思決定という意味では、会議以外の方法のほうが効果的で効率的というものです。これまで数多くの会議に参加してきましたが、有意義な会議だったものは数少なかった・・具体的には次の感じですが、こうした実感をお持ちの方は多いのではないでしょうか?
ア 会議の目的、議題等を整理したレジュメもなく、何をしたいのかわからない。
イ 大量の資料(文字と数字の羅列)をその場で配られて、延々と説明を聞かされる。
ウ 毎週・毎月違ったテーマで何度も集まるが、出席するのは同じようなメンバー。
エ 参加人数が多すぎ、ほぼ発言もない。あとで聞くと、何も理解していない人ばかり。
オ 何が決まり、何が課題とされたかが不明確で、同じような会議が次も繰り返される。
こうした会議が、毎週1回2時間、参加者20人くらいで開催されると・・
20人×2時間×52週(1年)=年間延べ2千時間以上を必要とし、参加者の給与を時給換算して計算すると、この会議だけで、年間数百万以上の費用をかけていることとなります。
もちろん、毎回会議で、必ず何かが決まり周知徹底されていくのであれば意味はあるでしょうが、もし、会議を開催すること自体が目的となっている=現況を報告するだけの会議、問題解決が図られないような会議であれば、そうした会議は早めに止めるべきでしょう。
経験則的に言えば、事前準備も不十分なままで、いきなり会議で意見交換しても話は空転・・何かを決めようとしても決めきれず、必ず次回以降となり、延々と時間だけはかかります。事前の準備(根回し含む)が為されていれば、会議は何かを決定することを正式に確認するための場となり、会議は30分以内の短時間で済むものです。
延々と時間がかかる会議は「無駄で不要なもの」と考えるところから、情報伝達・意思決定の質が上がり始めます。
今後、この観点から「会議」について、数回継続します。