2014年11月15日
先日、読者の方から、自病院で開催された講演会の模様を教えていただきました。講演のテーマは、「日本人の死生観」について、話の主旨は次のようなものです。
「食事介護をしても食べられなくなった時点で、無理に食べさせることをせず、自然に看取ること~古代より北欧で支配的だったこの考えは、今はフランスでも支配的になっている。
1990年以前のフランスでは、食事が摂れなくなった老人に胃瘻して無理に流動食を摂らせて延命させることが一般的だった。その結果、老人は寝たきりのまま数年に渡り生き続けるようなことが多かったが、今では食事が摂れなくなった老人に対してそのようなことはしなくなった。本人がそれを望まず、家族もそれを望まなくなったからだ。その変化は1995年から2005年までのわずか10年の内に起きた。色々な要素が重なり起きたことであり、特にこれが胃瘻が無くなった決定的な理由といったものは見当たらない。その結果、食事が摂れなくなった老人は、特に苦しむことなく10日ぐらいで自然に死ぬ。従って、在宅医療が主流で、『寝たきり』はほとんどいない。」
「今の日本では、本人や家族が延命措置を望んだら医師はそれを拒否できない。だから日本でも早く、個人の尊厳死や死のクオリティを守るという見地から『無理な延命措置はしない』ことがコンセンサスになってもらいたい。」
米国でも、自殺という方法で安楽死を行うことをYouTubeで予告した女性に対し賛否があったものの、延命措置を拒否する尊厳死は当然のこととされています。私自身や両親の死については、明確な考え方もありますが、配偶者や子供が尊厳死の判断を必要とする状態になったら・・今のところ、米国女性の安楽死を許容した両親や配偶者のような覚悟はありません。難しい問題です。
今は紅葉の季節(写真は読者から)。間もなく葉も落ちますが・・落ちた葉は、次の世代の養分となり、次世代が生まれる・・この輪廻が繰り返します。しかし、人は死ぬことで、次世代や残された人に何を残すべきなのでしょう・・この答えが明確となれば、自ずと今の不幸な死に方は、減って行くのでしょう。
自分なりの回答を探してみたいと思います。
さて、今回は、来月早々、1週間入院でお世話になることになった国立病院機構についてです。
国立病院機構は、本年4月に発足後10年を経過しました。この間、5年間の中期目標を2度作成し、その最終評価を受けています。
この最終評価結果を見ての感想と、既に始まった第3期の課題を考えてみます。