行動観察45:蹉跎歳月か一刻千金か

2025年1月5日

蹉跎歳月(さださいげつ)~時間を浪費して、長い日々を、ただ空虚に過ごすことを意味する四字熟語。「蹉跎」だけで、良い時期・大事な時期を逃して無意味に過ごすことを意味します。

 

本日は小寒 「寒の入り」です。寒の時期に鍛錬すると心身共に向上するとされ、「寒稽古」、「寒中水泳」が行われる時期です。やっと少し動き出したかに見える政治が、本格的に再始動するために何を仕込んだら・・と考えた結果は、まずは「一番見るに堪えない政治上の現象」を無くすことでした。
派閥の政治資金の不記載~延々と国会で審議されたものの「使途不明金はどうなったか誰もわからなかった」という終わり方を見た長女が発した疑問に、私は完全に同意。「あの低レベルの案件で、大勢の国会議員が審議している延べ時間・・いったい幾らなの? その時間費用が最大の損失。大所高所から時間かけて検討すべき課題も多いのに!」という疑問です。

 

確かに報告書への不記載は「胡散臭い」ことは間違いなのですが、「胡散臭い」からと相手を責め立てても、攻め手に証拠がないのですから無駄に時間が過ぎるだけ。1回2回は仕方ありませんが、延々と根拠の乏しい疑いを相手にぶつけ、無罪を証明しろと言い続けても、「弱みを見せた相手を叩いて、自分が浮かび上がる印象操作に過ぎない」・・少なくとも私は「蹉跎歳月」の無駄な行為と思いました。
今回、政治資金に関する第3者機関が国会に設けられるとのことですが、それだけで堂々巡りの国会のやりとりが消えるのでしょうか? どんな仕組みにしても、人間のやることですから、必ず問題は生じます。その都度、同じような内容を各政党が質問する、聞かれた側は同じ回答を繰り返す、その姿を何日も見せられる・・と国会の在り様を想像するだけでウンザリします。

 

「あれ、何とかならないの。見るに堪えない。その時間を他に使わせたい。」との長女の要請は、限られた時間資源が「蹉跎歳月」にならない方策を講じて、いかに「一刻千金」と大事に使わせるかという課題・・その回答・方法は種々あるでしょうが、こうした不幸な事態の発生予防措置も第3者機関で検討し早期に具体化して欲しいところです。ちなみに、私が長女にした乱暴な提案は「経済制裁」。基本ルールに反する処理があった場合には、報告書訂正に加えて、それに相当する額を例外なく国庫納付~非課税の政治資金は「公金」として扱う前提です。

 

不記載全てに刑罰を科すのは行き過ぎでしょうが、一方で報告書訂正だけで済ませてよいのか・・「政治家が得をしたという胡散臭さを生じさせた責任」「間違った処理をした結果についての責任」の2つは明確に取るべきと考えての経済的なペナルティです。この納付によって政党・政治家が得をしたという疑いは短時間で解消できますし、その後は、政治上の責任の有無等は第3者機関で調査・確認、罰則を科すべき犯罪かどうかは司法へ委ねるのを原則(=必要なら政党が必要書類を整えて捜査機関に告発)とすれば、実の無い責任追及の国会審議時間は減らせます。

政党・国会議員の行動に関する疑いは、議場の外で、明らかにしていけば十分です。

 

意見・立場は違えども、双方の違いを確認しつつ、折合える点を見つけ増やしていくのが議会の存在意義。双方が平行線のままの不毛な時間が続き、党利党略の印象操作の場に国会審議が使われていると疑わなくても済むよう、「一刻千金」の手本となる実りある国会審議をお願いします。

 

最後に、問題の企業団体の政治献金~献金する側の企業団体の透明性(=当該主体の収支・献金先、株主・役員会等の承認の事実、及び献金原資の確保先などの公表)が確保されていれば、全面禁止までは不要と考えます。献金側が身ぎれいであれば、まずは当該献金に「下心は無い」と推定するということです。1つの企業団体からの寄付上限(政党単位)の設定もあるでしょう。
一方で、政党交付金についても「活動に応じた上限(=政党活動に要する費用の1/2等)」を考えて欲しいものです。経営コンサル的に言えば、「収入の過半を補助金に求める事業主体は概ね衰退する存在」ですから、交付金依存度の高い政党の未来には希望は感じられません。企業団体献金と同時に方針・結論を得るべき課題でしょう。

 

近い将来は、政党活動費のうち政党交付金は1/2未満、個人献金1/2以上などと合意して・・そこに向けて、どう移行するかと「道筋」を考えれば、少しは、与野党の不毛な言い合いも減り、協議の出口が見えるでしょう。政治献金を個人献金に一本化するとしても、企業団体献金の廃止に段階を設けることは現実的です。現在の過大な税金依存の政党運営からの脱却には時間がかかるはず~今の返礼品競争の「ふるさと納税」を見るに、健全な個人献金の拡大は相当先でしょうから。