2023年2月15日
鞠躬尽瘁~国のために命を懸けて尽くすことを意味する四字熟語。中国三国時代、蜀の丞相であった諸葛亮が、皇帝劉禅に奏上したとされる「後出師表」に起源をもつ言葉です。
歴史上、高名な諸葛亮には及ばないまでも、国の中枢である内閣を構成する閣僚や内閣官房に属する公務員の方には、少なくとも、その任期中は特定の利害を離れて、国のために尽くして欲しいと思うのは、誰しも同じでしょう。
また、それを前提に支払われている報酬に見合った成果を、彼らが出しているかどうか、厳しく評価されるのは当然です。
さて、福井での滞在中に、同じ集落に住む長女と月に一度は飲むのが定例になってきましたが、今月は、「一体どうなっているのか」と・・総理秘書官問題で責められました。
この問題だけでなく、彼女の口調を借りれば、「最近のおじさん達の発言はおかしいことばかり。問題はおじさん達のセンスの無さだ」「国のために働いているはずなのに、不用意な発言で足を引っ張り、本来の仕事ができていない」「会見で発言を撤回すると軽々に言っているが、撤回するくらいなら最初から言うな」「それで、あの人たち、いくら貰っているの・・えっ!」といった感じです。
長女の頭の中にある「標的」は、概ね私と同世代・・・その一人として、こうしたことが何故続くのか、酒の力も借りて、無理矢理、仮説=言い訳を並べてみました。
〇個人として、どう思うかは、内心の自由であり、他人から文句言われる筋合いはないが、国の中枢を担う公人として、それを話すかどうかは別の判断基準があるはず。しかし、政治家がSNSで発信するのが普通になり、こうした私人と公人の境界が不明瞭になった、その判断が甘くなってきたのかも・・
〇オフレコは、よくある話だが、各省で通じるオフレコと内閣で通じるものとは違うはず。各省が担う政策については、事前の勉強という意味もあり、割とオフレコの範囲は広いと思うが、内閣では、近い将来に総理が言うことを事前にリークするという意味が強く、事実上、オフレコはないと思う。また、オフレコの場でも、「私は人を殺した」と言ったら厳しく指弾されるだろう・・と考えるのと同じでは?
〇今の記事の多くは、政治の動きや課題を深く取材することなく、誰かが失言したことを取り上げて、責任追及するというゴシップ記事に終始しているように感じる。今、課題と思われる事項を深く勉強している記者はどれだけいるのか? 新聞が深く取材もせず、SNSで炎上という記事を出す時代だから、政府は何でもできると思うようになっているのでは・・
〇これらの件で、内閣側の人たちは、取材等に対して今以上に表面的な対応するだけにとどまり、政策的な意味、価値、副作用などは、十分に知らされることなく、国会通せば終わりという時代が続くように思われる。こうした状態は、極めて不幸・・
長女からは、「もっとマシな人材はいないのか」と追及され、「全ての人が問題となったような人ではないと思う」と答えたものの、「責任が重いとして支払われている報酬額に見合った成果を出している人は、数えるほどしかいないのでは」「本当に優秀な人は、政治家や公務員になるべき時代ではない」「公務員の給与水準下げて、人数増やせばよいのでは。物理的に仕事量が多いのが問題なら・・」と酔った勢いで、本音がポロリ・・・
もし公務員だったら、口の軽い、自分をコントロールできない「乱臣賊子」と叩かれたことでしょう。
しかし、国の中枢にいる人も人間ですので、いろいろとあるとは思いますが、この程度のレベルの自制は、簡単に行って欲しいところです。こうした中枢部での自制が難しいようでは、最近の政治課題の中心~防衛費増=軍事力の強化について、やはり不安になります。
100年前、自制できない軍人・政治家が「乱臣賊子」として勝手に行動・・これを軍・政府が追認するという形で、戦時体制に引き込まれたことは事実~今でも、国の中枢に自制できない人が多いのでは、防衛強化の様々な理屈の前に・・そこに判断を委ねること自体のリスクが高いとなりそうです。
最近の一連の自制の欠如は、単に個人の問題なのか、国の中枢の特徴なのか?
皆さんは、どう感じられるでしょうか。