行動観察36:臨渇穿井か有備無患か

2022年11月15日

「臨渇穿井」~必要に迫られてから慌てて準備をしても間に合わないという意味の四字熟語。中国漢代の説話集「説苑」に起源を持つ言葉です。

 

さて、自家用車のタイヤを履き替えから、奥方との観劇予定の合間の時間に、九段下の昭和の見学に行ってきました。30年前に建設用地の選定・建設費用の予算要求に関わった昭和館ですが、開館後20年以上を経過して、初めての見学です。
昭和館の建設用地が九段下に決まるには紆余曲折~決定後においても順調に行きませんでした。
当時、大津市出向から戻ってから直ぐの時期で、大津市の都市計画部門の有能な人たちの意見を聞くことができたのを幸いに、彼らの見解を基に、都市計画公園の計画決定がされている地に、現在規模の建物が建設できるとする国としての案をつくり、東京都の都市計画部門の内諾を得ることができました。もちろん都内部でも種々の意見はあったのでしょうが、担当者の熱意と理解で実現できたのでしょう。

 

しかし、ことは順調には進みませんでした。私の異動後に、地元の区議会等で、なぜ都市計画公園の計画区域に高層ビルが建つのかと問題になったらしく、都市計画等に全く知識・理解のない後任者たちは、結構、苦労したようです。たぶん一番困ったのは私に「逃げられた」形の東京都だったと想像します。

当時私は30歳くらいの経験不足・・臨渇穿井を地で行くことになりました。関係者の皆さんには、この場でお詫びと、無事開館につなげたご尽力に御礼を申し上げます。

 

その後、20世紀末には昭和館が開館しましたが、こうした経過もあり、足が向くことはありませんでした。しかし、先月の医療観察法病棟がきっかけで、今回、もう一つの棚卸もすることにしました。
終戦記念日前後は、賑わうとは聞いていましたが、その他の日は閑散としているだろうと気楽な気持ちで行きましたが、練馬の小学生、船橋の中学生の社会科見学と遭遇~賑やかな雰囲気に明るい気分になりました。開館後、約20年で常設展示がリニューアル(先月の病棟とは同じ厚労省でも大違い・・)されていたのも印象を良くしたのでしょう。

 

30年前の検討当時は、終戦から約50年を経過する時期であり、個人的には、なぜ、こうした施設が必要なのか・・正直、疑問に思っていましたが、終戦から約80年近くを経過する現在、その必要性を理解できたように思います。小中学生が、80年前の一般市民の戦時体験を垣間見て、当時のことを理解するきっかけを持つことは、彼らが今後の政治や社会の方向を判断するうえで、重要なことと思ったからです。
30年前は、直接の戦時経験のある政治家も多く、軍事面の拡大には抑制的な判断が普通だったと思いますが、欧州の戦争や日本近辺での状況変化を理由に、国防充実を唱える現在の諸氏は直接の戦時経験もなく・・その主張に一面の危うさを感じるのは私だけではないでしょう。
この10年の政治や報道は、政策意図・効果の不明瞭な経済対策や一時金の繰り返し~臨渇穿井の繰り返しに感じられますが、少なくとも防衛に関しては、100~80年前に何があったのか・・を思い返し、日本と似た立地の英国の現在の軍構成も参考に、単に「加える」だけの議論でなく、「引く」「合わせる」なども含め、現在の状況に立脚しつつ将来に備える~有備無患な解決を期待します。

 

ちなみに奥方に聞いたところ・・私の子供たちは社会科見学で昭和館に行った記憶はないとのこと
正月に会った時に、彼らにも見学を促すことにします。