行動観察33:温文爾雅か問答無用か

2022年8月15日

「温文爾雅」~心がおだやかで、態度や言動が礼儀にかなっていることを表す四字熟語。知人が亡くなったときは、こうした姿勢で臨みたいものです。

 

さて、本日は全国戦没者追悼式の日です。今では誰しも疑問に思わない本追悼式も、毎年開催されるのは1963年からですが、その当初は開催場所で種々の意見があったとのことです。

一方、9月に予定されている元総理の国葬実施についても、様々な立場から意見があります。

元総理の生前の言動・事象等を批判して、国葬はふさわしくないとするものもありますが、既に反論できない故人に対して一方的に批判する姿勢は、私には理解ができません。
どのような人でも、過去、生きてきたことに、是も非もあるのは当然でしょうし、それを受け取る側の意識で、是非の評価も変わるのは当たり前でしょう。しかし、既に亡くなった人に対しては、是と思うことは気持ちよく評価し、非と思うことでも批判ではなく将来に活かす教訓と考えたいものです。

 

私自身は、日本の社会・文化に特別の功労のあった人に対し、その長年の努力に敬意を表すという意味で国葬を行い、これに参加する諸外国の人とも交流を深める機会とすることは重要なことと考えています。是の面は積極的に評価するという発想~衆議院の任期の2倍もの期間を激務で知られる総理の任にあっただけでも大変なことであり、敬意を表するに値すると個人的には思いますが・・今回の国葬決定の過程等には、個人的にも唐突な感じはしました。
例えば、米国の国葬は国家元首である大統領経験者が対象ですが、これは日本で言えば、昭和天皇が亡くなったときの大喪の礼等に相当するのでしょう。英国では、国王以外でも対象となった人はいますが、第二次世界大戦後は、誰でも知るチャーチル、サッチャーの2人の首相経験者だけ。仏国は、大統領経験者のほかは、詩人・音楽家なども対象になるなど、それぞれの「お国柄」が出ているようです。

 

日本では、どのような人を国葬の対象とするのか、そこが不明瞭なのが、今回の議論百出の火元です。これは国民栄誉賞にも通ずるものがあり、死後に受賞する場合はともかく、スポーツ選手や棋士が生前に受賞したときなどは、常に、基準の不明確性=政治利用が話題になります。
この不透明さが、今回も故人への敬意を示し、非と思うことを教訓とする静かな時間を阻害しているのは、残念なことです。

 

よい機会ですので、ぜひ、国葬などの対象者選定のルールの明確化、その適切な実施方法などの検討に着手して欲しいものです。少なくとも、次のような国葬対象者の選定に関する素朴な疑問には、政府は答えたほうが良いと思うのは、私だけではないでしょう。
〇国家元首以外の候補は首相だけか?  民主主義の根幹である他の三権の長は?  文化面の対象者は?
〇これらの者から具体的に誰を対象とするかは、在任期間だけを基準にするのか?
〇特別貢献というプラス事象は判断基準にするのか?  評価の分かれるマイナスの事象はどうか?

 

国葬や国民栄誉賞などは、その対象者に敬意を表する重要な儀式・機会と思いますが、一人でも多くの人が選定に納得できる環境作りが大事でしょう。
元首相の今回の国葬が是か非かなど、ルールの無い中での議論など出口のない無駄な時間です。また、議論が嚙み合わないまま、時の政権が問答無用で押し切った印象だけが残るのは不幸なことです。
ぜひ、できるだけ多くの人が、温文爾雅の姿勢で国葬の日を迎えられることを願うばかりです。