行動観察30:唯我独尊か一視同仁か

2022年3月15日

「唯我独尊」~仏教の祖 釈迦が産まれてすぐに七歩を歩み、右手で天を指し左手で地をさして「天上天下唯我独尊・・・・」と宣言したという有名な伝説に由来する四字熟語です。
一般的には、「うぬぼれて傲慢な人」の意味で使われますが、仏教上の解釈は異なります。「迷いの世界の最後(輪廻転生の最後)の生であり、ふたたび迷界に流転しない」又は「三界(欲界・色界・無色界)で生きることに苦悩する人を救うために生を受けた」として釈迦が尊い存在である理由を解説するものから、「釈迦だけでなく、人は皆それぞれにかけがえのない尊い存在」とする説まであります。

 

さて、国家間の戦争は、それぞれに主張があり、どちらが正しいかを判断するのは難しいことは、過去の歴史が示しています。ただし、戦闘地で戦う軍人や、そこで暮らす住民が負傷・死亡し、本人・家族に深い傷跡を残すことが、共通した不幸であることは間違いありません。今回も路上にうつぶせに倒れて動かない子供の遺体が映像で流されましたが、これが毎年のように繰り返されるのも人間世界の現実です。そろそろ戦争・戦闘以外の紛争解決の手段が開発されても良いのに・・と考えるのは私だけではないでしょう。

 

国際舞台では、侵攻される国の大統領や市長がSNS等で現地の悲惨な状況を世界に発信するのに呼応して、侵攻する国への非難決議がなされていますが、これに対して当事国の外相・大使等が退席することもなく用意されたコメントを平然と繰り返す姿を見て、「天上天下唯我独尊・・・・」の言葉を思い出しました。傲慢といった意味ではなく、世界中が反対しても自国の決めたことはやり抜くという固い決意です。

こうした決意を変えるのは、容易なことではないでしょう。

 

一方、当事国以外の国々は、厳しい経済的な制裁を行うかどうかは温度差がありますが、軍事的な介入には総じて及び腰です。当事国の国力の差を見るに、他国からの支援なしでは、近い将来に軍事的に制圧されると考えるのが自然です。
しかし、それは平和の到来ではなく、両国間の次の段階の紛争の始まりを意味するだけです。戦争で国土が疲弊し安定化が難しくなる敗戦国側だけでなく、軍事的に勝利する側も厳しい経済的な制裁の継続で確実に住民の生活レベルは低下し、時間とともに疲弊が深まるだけでしょう。
もちろん制裁する側も、既に始まっているような経済的な混乱は継続すると思われ・・今回の戦争で、何を失うかは直ぐにわかりますが、誰が何を手に入れるのかは全く理解できません。

 

今の戦闘地域は、人が迷いの世界にいて、苦悩していることを典型的に表すものと思いますが、残念ながら、それを解決できる釈迦のような尊い存在=唯我独尊の存在はいません。
よりマシな解決方法を、迷い悩む人間達が見つけるしかありませんが、相互が非難合戦になることなく一視同仁(身分・出身・敵味方などにかかわらず、どんな人も平等に慈しみ区別なく接する意)の人材が1人でも多く解決にあたる体制ができることを祈るだけです。

 

こうした人材が多ければ、また事前に対話・協調できれば戦争・戦闘にならない可能性はあったと思いますが、常に、コトが起きないと大事なものに気づかない・・人間とは残念な存在です。

 

私も残念な存在の1人ですが、今からでも難民支援への少額寄付は行えます。

少しも苦痛が和らぐように・・