行動観察27:切磋琢磨か同病相憐か

2019年12月15日

切磋琢磨~互いに励ましあって勉学や修行をすること。仲間同士で、互いに協力したり競ったりして、高め合うこと。

元々は、中国の古典「詩経」にある言葉であり、骨・象牙・玉・石は加工すること(切は骨、磋は象牙、琢は玉、磨は石の加工法)で美しい宝石になることに例えて、天性の素質のある者が修養を積み、立派な君子になることを意味した四字熟語です。

 

さて、6年前に次世代リーダー育成の研究会を実験的に行いました。

この研究会は、2つの医療法人、2つの社会福祉法人が参加し、国の政策担当者をオブザーバーとして招き、また、㈱日本経営を事務局に運営するものでした。女性3名を含めて総勢20名、平均年齢は私を除いて当時36.7歳。今では全員が40歳を超えており、転職した人も何割かはいます。

 

このうち、代替わりした1つの法人から依頼があって、3年前に法人内のリーダー育成に関わり始めましたが、30歳~40歳代の中堅職員に直接関わる元気もないので、この研究会の1期生メンバー(転職組)の何人かをアドバイザーとして、中堅職員の相談支援をする枠組みを作りました。
紆余曲折を経て企画から3年を経ましたが、今回、福井で分科会~対象法人のメンバー6人+アドバイザーを福井に呼んで会議を実施することに。1月、7月に当該法人の所在地に行って会議・交流するだけに飽きてきたのもありますが、対象法人の職員を外に出して考えさせる~分科会は1月の本来の会議の準備会の意味~ことも面白いと考えてのことです。

 

この週末、1泊の分科会も無事終了しましたが、一連の場面場面で以前の研究会と同じようなことがあったと思い出しました。
6年前は、テーマ及び報告様式を決めて各法人から現状報告~オブザーバーの国の行政担当者から感想を聞いてから意見交換~最後に私がコメントして夜の意見交換へ・・というのが毎回でしたが、各法人が抱える問題が、ほぼ同じということを知って、夜の会合で、お互いに安心し慰めあうということが続きました。いわば「同病相憐」です。

当時、1年の期間では、仲間同士で互いに協力したり競ったりして、高め合うまでは行きませんでしたが、その経験を起点に、それぞれの立場で頑張ってきたと思われるアドバイザーが、今回の2期生メンバーと話をする姿を見て苦笑いしました。

 

今回のメンバーが抱える目下の課題の真因は、6年前のテーマに重なるものも多く、アドバイザーも相変わらずの「同病相憐」と感じたのは間違いないでしょう。ただ、「迷える子羊達」への助言に、研究会後に一定の問題解決を図ってきた各アドバイザーの経験が活きているように思えました。

また、夕食後、私は別件で出ましたが、1期生と2期生は宿で深夜まで酒盛り~あとで聞くと、よい話し合い、付き合いができた様子です。

 

翌日の会議は、6年前の研究会のオブザーバーだった政策担当者も急遽参加~何も知らない人(政策担当者)に短時間で説明する(法人の課題と検討状況)というトライアルとしました。

私は、会議中に作った「○○の不始末」という身近で起きた失敗例を報告する側に~オブザーバーからは「何でも組織の失敗の根っこは同じなのですね」という、最近の自分の境遇に重ねた「講評」を得て分科会は終わりました。

 

アドバイザーやオブザーバーの行動、発言を見るに、6年前の「同病相憐」からは一歩進んで、粗削りながらも、自らを「切」「磋」「琢」「磨」と加工する道を歩んでいるようでした。
同病相憐で安心することがスタートであっても、一人ひとりが自らを高める働きをするかどうかで、結果は異なるのでしょう。仲間同士は馴れ合いになりやすく、お互いに高め合うというのは、現実には難しいのかもしれませんが・・

それでも、今回の法人側のメンバー6人が、今後、どのように行動していくのかは、楽しみではあります。

 

さて、アドバイザー本人たちに天性の素質があるかどうかはわかりませんが、少なくとも全員が転職組。

組織を出てリスクを引受けた経験が、「同病相憐」から卒業させた要因の一つであることは間違いないでしょう。

もちろん、法人側メンバー6人の転職を期待するものでないことは、言うまでもありません。