行動観察21:無用之用か千古不磨か

2019年5月15日

無用之用~一見すると役に立たないように見えるものでも、かえって大切な役割を果たしていること。また、有用であることが必ずしも良い結果につながらないことを意味する「老子」「荘子」に由来する四字熟語。短期的な成果や目先の正義を求めがちな現代には、考え深い言葉です。

 

さて、元号が変わったことに伴う令和の祝賀ムード、平成の総決算ムードも一息つきましたが、一連の報道を見ながら、30年前に重宝していた「道具」が今ではすっかり無用のものになったものだと改めて思い知りました。
例えば、音楽・・音楽自体は時代により変わっていくのでしょうが、それを伝える媒体が、レコード・カセットテープから、CD・MDへ、今ではネットで配信と急速に変化。その結果、10曲程度の楽曲が一連の作品として収まったアルバムをじっくり聞くということはなくなり、1曲ごとの配信を聞き捨てるといった感じになりました。
しかし、今では無用となった30年前のレコード・プレイヤーを捨てられないのも、ノスタルジーだけではないのかもしれません。当時、一連の音楽作品として試行錯誤で作られたアルバムをじっくり聞いて自分なりに「消化」していたという過去の経験が忘れられないからでしょうか・・今の配信という仕組みは、ヒットするかが重視され、音楽を消費しているだけという抵抗感が何となく拭えません。
80年代の音楽は、今でも耳にする機会は結構ありますが、配信で育った子供たちが、30年後にどれほど今の音楽を耳にするのか・・時代の文化として何が生き残るのか楽しみであり、心配でもあります。

 

こうした「道具」の進化が、作品の「実質」を変えているのは、音楽だけではないでしょう。小説なども同じで、街の本屋も減って、立ち読みで好きな作家を探すということもなくなりました。販売部数が減り、尖った作家が陽の目を見ることが難しくなったのも理由の一つでしょう。便利になったのは間違いありませんが、そのためSNSの口コミなどの影響を強く受けるようになり、その結果、作家の多様性や作品の新規性などが失われているとしたら・・大事なものを、便利さと引き換えにしていないか、注意が必要なのかもしれません。
令和の時代も、「道具」は加速度的に進歩するのでしょうが、新しい「道具」が生み出す新たな可能性を重視するだけでなく、無用となった「道具」が育んだ文化的な価値にも想いを馳せ、何らかの形で活かすような時代になって欲しいものです。

 

最後に、「象徴」の立場に国民の慰霊と慰藉という新たな役割を、数多くの実践を通して示され、無事に退位された両陛下に、深い敬意と感謝の気持ちを表したいと思います。
憲法に規定されている国事行為は、全て内閣の助言と承認が必要とされ、政治的な自己意思は無用とされる存在ですが、一方では政治的な立場から自由となったことを活かし、戦没者の慰霊や被災者の慰藉を続けられ、権力闘争がつきまとう政治では成しえない「心の平安」を導かれたこと・・将来にも伝えられるべき「千古不磨」の役割が生み出されたと感じます。

 

こうした「千古不磨」と言われるものこそが、「無用之用」といわれるものの本質かもしれません。
心の問題・・技術や経済、主張や政治では解決できないことがあることを忘れない令和でありますように。