2019年4月15日
四面楚歌~楚の項羽が、韓信の兵に垓下の地で包囲されたとき、夜更けに四面から楚の歌を聞こえてきたことから、楚がすでに漢に降伏したと思い絶望したという「史記」の項羽本紀に由来する四字熟語。周囲の者が反対者ばかりであり、助けがないという状況に用いられます。
さて、誰も味方がいないのではないかと感じるくらい、危機的な状況になる時があります。
これまでと大きく違う改革をしようとするとき、予想外のミスがあって批判されるときなど、事情は様々でしょう。特に、他人の反対、批判を、初めて受けるときは、四面楚歌と強く感じるかもしれません。
しかし、心を落ち着けて考えれば、いくつかの打開策は見つかるものです。
例えば、本年年初から連日のように批判され続けた統計問題・・現状では、2019年度予算も概ね日程内に成立し、野党が求めた大臣辞任もなく、実効性のある再発防止策が国会主導で決まったわけでもなく、何となく、次の不祥事に話題が移ったようです。
個人的には、こうした論点がずれた国会審議の状況は望ましいものとは思いませんが~批判の矢面に立った人たちは一息。まさしく危機一髪だったな・・と感じているのではないでしょうか。この場合、自ら打開策を考え出したわけではなく、批判側の戦術ミス(本来行政の失敗の話を、無理に政権の問題にしようとしたこと)によるものとは思いますが、それでも一息つける状況になったのは、危機的な状況でも最後まで、あきらめずに汗をかいた人がいるからでしょう。
ちなみに、史記の四面楚歌は韓信の戦術~捕虜とした楚の兵士に歌わせて、残存の兵の戦意を殺ぐという作戦でしたが、これが当たり、項羽は楚に戻り再起を図ることを選ばず、自決を選ぶという展開になります。しかし、もし楚に戻り再起を図っていれば、その後の歴史は違っていたかもしれません。そうなれば、垓下の地は、四面楚歌ではなく、危機一髪の地になったのでしょう。
最近、知人の一人が診療情報管理士の資格取得をしました。
足かけ4年の期間を要しましたが、その間、転職した先の院長からのパワハラ、労働調停の実施、実父母・義父母の毎日の介護対応、本人の負傷など・・忙しさのあまり気が付いたら試験申し込みの期限を徒過していたこともあったとのこと。まさに、傍から見えれば四面楚歌の状態でしたが、あきらめずにチャレンジした結果の合格~本人からすれば、こうした悪い条件にもかかわらず、危機を乗り越えたという達成感はひとしおでしょう。「危機一髪だったが・・乗り越えた」と。
こうした前向きの気持ちが、危機的状況を悲観的に捉える「四面楚歌」ではなく、危機を乗り越えた後に「危機一髪」だったと感じさせるのでしょう。
きっと、こうした経験をした人は、他の人が危機的な状況になっても心の支えとなるに違いありません。
そして、そういう人が周囲に何人かいれば、四面楚歌と感じることもなくなるのでしょう。