行動観察18:池魚之殃か悪因悪果か

2018年3月25日

池魚之殃(ちぎょのわざわい)~池に投げ入れられた宝珠を得るために池をさらったところ、池の中の魚が全て死んでしまったという「呂氏春秋」の故事に由来する四字熟語。自分に非がないのに思い掛けない災難に巻き込まれるという意味です。

 

さて、誰しも自分にとって悪いことは起きるものです。
他人と諍いが起きて嫌な思いをする、大事なものを家に忘れてきて困る、自動車が追突されて怪我をするなど、事の大小を問わなければ、いろいろな事が起きます。これらについて、どう考えて対処するかは、人によって随分違いがあるものです。
自分に全く非はないと考える「池魚之殃」のタイプから、自分が悪いことをしたため起きたと考える「悪因悪果」のタイプまで・・しかし、多くの場合、自分も相手も気をつければ起きなかったという結論を導き出し、少なくとも「今後は○○しよう」と・・次の自らの行動に注意する大人の対応になるようです。
起きた悪いことの全てについて、自分に非がないと考えるのは余りに能天気でしょうし、逆に、自分が一方的に悪いと考えるのは悲観的に過ぎます。また、双方に問題ありと結論づけることで、精神的な平衡を保ちつつ前向きな問題解決が可能になるからでしょう。

 

集団組織の場合でも、同じようなことが言えます。例えば、医療介護事業で、患者・利用者が不幸にして亡くなった場合を考えるとわかりやすいでしょう。
食事中に他人に迷惑をかける利用者を個室で食事をさせていたら誤嚥で窒息~発見が遅れて病院に送ったが死亡したという事例に対して、A施設では、やむを得ない・避けられない事象だったと考え、B施設では、もっと工夫すれば避けられたのではないかと考えるとした場合、皆さんは、どちらの施設を利用したいと考えるでしょうか。
利用者の死亡は、本人・家族にとっても、施設側にとっても不幸なことですが・・死亡した本人にとっては、それで終わりなのですが、当該施設には同じような人が沢山います。集団に馴染めず、嚥下に問題のある高齢者は、今や珍しい存在ではありません。こうした人たちの存在を意識せず、一つの事例としてだけ捉えて・・避けられない事象と言っているだけでは、同じことが繰り返されます。なぜ不幸なことが起きたか・・理由をよく考えて、避けられる可能性のあるポイントを見つけて対応することで、わずかでも問題発生の可能性が低減すると考えて欲しいものです。

 

これは財務省の「文書書き換え問題」にも通じることです。一つの事例に集中して、政局を左右する問題のように扱われていますが、国有地の処分をどうすれば適正にかつ効果的に行えるかという本来の問題に立ち返り、ゴミが大量にある土地に、なぜ学校を作ることを認めたのか・・また、土地の売却に関して人が死ぬようなことに、なぜなったのかと考えて欲しいものです。
今回の最大の犠牲者は故人とその家族です。

その気持ちに沿った再発防止策が講じられることを祈るばかりです。