2018年2月25日
知行合一~知っていて行わないのは、未だ知らないことと同じ=知識に実践が伴ったものが本当の「知」であるという考え方です。陽明学の主要な命題のひとつとのことです。
2月初に豪雪となった福井。全国放送で、1,500台の車両が立ち往生、JR他の鉄道も不通、ガソリン等の燃料不足で購入制限、知事が業務自粛を企業に要請など・・厳しい災害として報道されました。
ピーク時の4日間の降雪量は計141㎝~最深積雪量は147㎝と、私が大学受験した1981年1月の豪雪に並ぶと言われました。しかし、1981年の記録を見ると、1月3日からの4日間で降雪量は129㎝、さらに共通一次試験中の1月11日からの6日間の降雪量は164㎝~最深積雪量は196㎝とのこと。今回と同程度の雪が短期間に2度降ったということになり・・当時のほうが大変だったように思えます。
約2週間を経過した地元紙に記載された記事を見て、この疑問が少々解消しました。
「必ずきれいに開いていた県道が雪に埋もれていた。40年近く作業に当たっているが、こんなことは初めて。除雪されていない県道を目の前にして何もできない。もどかしかった。」という福井市内の市道の除雪をしていた業者のコメントで始まる記事は、県の除雪計画が机上空論と伝えていました。計画では、約1千台が同時に県管理道路を除雪するはずが、ピーク時で稼働したのは700台を下回り、また福井の油槽所と給油所をつなぐ県道が最優先除雪路線でなかったため、軽油が底を突き除雪車を動かせなくなったとの解説です。
また、県の統計資料で、県全体の状況を1981年と現在とを比較すると、人口は減っているにも関わらず、住宅地区は1.85倍に増え、道路も路線数は1.5倍、延長距離は2,200㎞も増えています。こうした除雪を必要とする住宅地域・道路の増加も、降雪量が1981年より少なくても除雪作業を大変にし、対応に時間がかかる要因となったのでしょう。
しかし、1981年当時も立派な計画があったかは疑問です。除雪の捨て場がなくなり、河川に捨て始め・・量の多さに洪水の恐れが出て、急遽、福井市内は福井城址のお堀に雪を山積みにしました。とても計画にあった対応とは思えませんが、目の前の現実を前に、「やるしかない」と英断を下した人がいたのでしょう。
今回も、計画にはないものの、現場からの情報を機敏に取り入れれば、市道の除雪担当の業者に、急遽、最優先除雪道路等に回るよう要請すれば、少なくとも混乱が続くことはなかったのではないかと・・しかし、1981年の対応状況を知る県職員も、ほぼいない現状では、緊急対応も難しかったのかもしれません。
どんな立派な計画を作っても、現実対応を誤ると、結局は、机上空論となります。計画にはずれた事態が生じたときに、迅速に、蛮勇をふるえる人材がいれば、その働きで、結果的に、知行合一となるのかもしれません。
これまで雪の対応が全くできていない東京を笑っていましたが、どうも地元福井も足元が弱っているようです。
計画の精度だけでなく、危機対応の人間力も上げることが大事です。