2017年10月20日
名論卓説~本質を見通しているすぐれた意見のこと。他人の意見や議論の立派さを形容する四字熟語。
ややもすると、その話の内容ではなく、話した方の流麗さから受ける印象に使いがちです。
衆議院選挙も終盤。政党の主張を聞いていると、誰もが耳障りのよいことを言っていると感じます。表面的に聞けば、どれもが一つの意見として納得できそうな話です。ひと昔前の政治家に比べると、弁舌の技術が向上したことは間違いなく、それが話の納得性を強調しているのかもしれません。
しかし、どのようなことも、プラス面があればマイナス面もあるもの。マイナス面を隠し、プラス面だけを誇張しているのでは・・我田引水的な話になっていないかと、注意して聞くことが必要でしょう。
例えば消費税・・長年、反対・先送りの主張が続きますが、景気影響を考えれば未来永劫税率を見直すことはできません。一方で、国の予算の収支は均衡が大きく崩れた状態は続いており、その有効な解決策を示す人は誰もいません。常に問題の先送りです。
40年以上前、オイルショックの影響で大幅な税収減となった政府は、最初の赤字国債を発行しました。
当時の蔵相は「毎年苦労することによって少しでも赤字国債を減らそうと思いを致すことが必要」と、その発行のための法律を1年限りの形式とし、毎年の国会議決が必要としました。その後、赤字国債の発行について「一生かかってこの償いをする。財政再建をやる。自分はどうなってもいい。」と、首相になった後、一般消費税を提唱、残念ながら総選挙で敗れたという歴史があります。
「あー、うー」と話しを始める様子が記憶に残っているほど、弁舌が爽やかではありませんでしたが、自分の判断・行動の結果の責任を、自ら取り返すという彼のこの姿勢には、本来の政治家らしさを感じるのは私だけではないでしょう。
残念ながら、赤字国債発行の問題に麻痺し、税制見直しを言うと選挙で負けるという実績が積み重なった結果、今では、政治家を続けたい人たちは、代替案なしで、問題の先送りに動きます。
確かに、その主張は、聞こえはよいのですが、
「このままの状態が継続して、孫の時代になったらどうなるのか」
「制度変更なしで、景気向上だけで税収不足を賄うには、どの程度の景気水準が必要なのか」
「過去、そうした高い景気が長期間続いたことがあるのか」
「消費税以外で、どのような方策が具体的に考えられるのか」
と、素朴に聞きたくなります。
実力以上に弁舌が上手くなりすぎた現在、名論卓説と我田引水は紙一重なのかもしれません。自分の判断と行動の結果に対し、「政治家を辞める」以外の責任をとる気構えのある人か否かが、その分水嶺なのでしょう。
そうした政治家らしい人の存在感が減ってきたのは残念なことです。
厳しいことも愚直に言える人が政治を続けられる時代にしたいものです。