旅の楽しみ75:神話を体感しながら大入島へ 日本の原風景の一つを体感する(離島訪問)

2017年6月20日

今月は奥方の誕生月。日頃、自由に行動させていただいている御礼も兼ねて、彼女が行ったことのない日向の国を中心に神話に沿って移動します。

 

記紀に記された神話~天孫降臨の地や神武東征の起点は日向の国高千穂と記されています。
現在の歴史学・考古学ではそのままの史実であるとは考えられていませんが、同じ地名の高千穂町では、阿蘇山の火山活動で形作られた高千穂峡のほか、天孫降臨の伝承地を守る総社としての高千穂神社、天岩戸神話の舞台の場所としての天岩戸神社など、神話にまつわる場所が数多くあります。
初日は、この高千穂の民宿に泊まって、高千穂神社の夜神楽を見て終わりました。

 

翌日は、宮崎の山奥らしい「酷道」を通って、百済王伝説(百済の王族が亡命してきたという言い伝え)が根付く美郷町の神門神社へ向かいます。王族亡命を歴史の事実と照合するのは困難なのでしょうが、神門神社には、王族の遺品とされる古い鏡が24面~その中には奈良の正倉院の御物と同一のものなどの重要なものがあるとのこと。さらに、これを保管する場所として、東大寺正倉院の図面を忠実に再現した「西の正倉院」が、宮内庁の協力などを得て建設されており、単なる物語とは言えないリアルさもあります。
さらに「酷道」を通って、西都原古墳群に着く頃には日も傾きかけていましたが、その雰囲気は3度目の訪問の私でも、長閑な感じを覚えます。西都原古墳群の調査は徐々に進んでいるとはいえ、分かっていない事も多いらしく、日本神話との関係は? これほどの古墳群を建造できる権力が、かつてこの地に存在したのはなぜか? といった点は、専門家の間でも意見は分かれているようです。

 

しかし、いずれの3か所も、往時と今では、だいぶ様相が違うのでしょう。
西の正倉院で係りの女性から地元の状況を聞く機会がありましたが、彼女によれば。「娘は神門を出て今は福岡、孫達は東京の大学に行っている。仕事があれば皆も地元に残るのだろうが・・高校で沿海部の市に出ると、その後は、さらに都会へと出て行ってしまう。地元では空き家ばかり。」との由。年に一度、百済王族親子の対面を再現する「師走まつり」の映像を見ましたが、確かに高齢化が進んでいるようで、都会の祭りが若者であふれているのとは対照的です。この祭りが、いつまでも続くよう願うばかりです。

 

忙しい奥方と空港で別れ。その後は一人旅。最終日は、日向を離れて豊後諸島の大入島に向かいます。この島には、これも有名な神話である神武東征の途中で立ち寄ったとの謂れがあり・・これにちなんだ祭りが毎年1月に行われるとのこと。
大入島は、豊後諸島のなかで最も大きな島ですが、佐伯港からフェリーでわずか7分の距離です。行きのフェリーでは訪問リハビリの車両を見かけ、帰りのフェリーでは市のごみ収集車を見かけるなど、これまで行った多くの離島が独立した生活圏を持つのとは異なり、市の生活圏の一部に組み込まれていることがわかります。漁業以外を生業とする人は、この距離だと島を出ることになるでしょうが、この地の祭りも、いつまでも続いて欲しいものです。

 

残念ながら、道路の補修工事で島一周はできませんでしたが、それでも島の北端で見た風景(写真)は、日本の原風景の一つと思われました。30分程度、車を止めて見入っていましたが、古事記の「神倭伊波礼毘古命」が乗った船も、きっと同じ風景を見たことでしょう。
時代は変わり、仕事の内容や医療介護といったものも変わっていますが、こうした原風景は変わることなく、そこにあります。自分の時間軸を何に置くか・・・考えさせる山と海の旅となりました。