旅の楽しみ72:吐噶喇列島・鬼界カルデラの温泉に浸かる(離島訪問)

2017年3月19日

今月は、鹿児島港から船で十島村(としまむら)と三島村に向かいます。
元々は十島村(じっとうそん)というひとつの村でしたが、第二次世界大戦後の占領政策で分割された経過から二つに分かれています。
十島村は霧島火山帯に沿って直線で約160kmの距離に島々が続く「日本一長い村」、三島村も霧島火山帯上にある直径20kmの鬼界カルデラの外輪山の一部が海面上に突き出ている島です。いずれも活火山~温泉に入ってみるのが楽しみです。

 

十島村経由で奄美大島に向かうフェリーは23時出航。昨年10月は昼の段階で残念な欠航のお知らせがありましたが、今回は無事に出航です。遅い時間ですが、船の食堂では長旅を楽しむ酒盛りも始まっています。私も船酔い避けにビールを一杯・・・朝6時の中之島到着まで熟睡です。
離島に行くといつも見る風景ですが、港には島に住む人の多くが集まっています。船で運んでくる生活物資を受け取るためですが、迎えに来ていた宿の人の話では、特に今回は、数日前の前便が欠航だったため賑わっているとのこと。長期にわたり欠航になることもあるらしく、船の予定通りの到着は嬉しいことなのでしょう。

 

宿の人に荷物を預けて、ぶらぶらと島内を歩きながら、島中央部の宿に向かいます。十島村で最も人口の多い中之島ですが、人が住む所は港付近に限られており、そこを抜けると南の島らしい自然が続きます。柑橘系の果物もなっていますが、多くは耕作放棄したもの~島の暮らしの難しさを感じさせます。
2時間ものんびり歩くと、島の中央部でトカラ馬の群れを見つけました。人には慣れているようで、私を見ても逃げることはありません。島の子供たちには、馬のほうから近づき餌をねだる素振りを見せます。

 

島では、あまり子供を見ることはないのですが、ここでは様子が違います。定休日の歴史民俗資料館の前では、何組かの親子連れが話をしていました。不審者と思われないよう挨拶をすると、一人の女性が、「歴史民俗資料館を見ますか」と声をかけてきました。
「休みでしょう」と問うと、「今開けますから」と思いがけない返事です。資料館や天文台の管理を仕事にしている人だったのですが、東京からの移住者とのこと。十島村には移住者が多いのは聞いていましたが、昨年、移住者を中心に10人以上の子供が生まれたと聞き驚きました。ただし、島で出産はできず、鹿児島市内で出産するように村から指導される由。出産に限らず、医療は巡回診療に来る程度らしく、基本的には船で鹿児島に行って治療・・悪天候の場合には自衛隊ヘリの出番と聞き、これも吃驚です。

 

夕刻、港近くの温泉で、張り出された温泉運営の寄付者名簿を見ながら、汗を流して目的を達成です。残念ながら、夜は雲が多く、天文台で星を見ることはできませんでしたが、島のキャッチフレーズ~刻を忘れさせる島~を実感しながら一日を終えました。

翌日の鹿児島行のフェリーは、晴天にも関わらず波高し。船は大揺れ・・予定を大幅に超えて10時間近い船旅になりましたが、屋久島、口永良部島を見ながら無事に鹿児島に到着。船の欠航に備えて余裕のある日程にしていたので、十島村から予定通りに戻った際のオプション~翌日からの三島村行を実施することにしました。

 

鹿児島から三島村までは片道3時間程度の船旅。十島村往復をすると短く感じるのは不思議なものです。
しかし、硫黄島に着くと雨模様・・それでもアシスト付自転車を借りて、平家ゆかりの史跡を見て回っていると・・そのうちに土砂降りに。どうせ濡れたからと海沿いの温泉に向かいましたが、着替える場所もない野趣あふれる温泉です。

雨のせいもあってか誰もいないので、岩場に服をおいて温泉に入りました。すると雨も一時的に止み、波音を聞きながらの温泉(写真)・・気分は最高。皆さんも機会を作って行ってみてください。きっと記憶に残る時間となることでしょう。

 

十島村と違って、宿には他にお客さんもいて、一緒に食事をしながら、「なぜ、ここに来たのか」と話題になりました。一人は鹿児島市内の銀行の支店長・・2日前に飲み屋のママに「良い所だから、本店への帰任前にぜひ行ってきて」と言われたとのこと。もう一人は、リタイア後、全国の珍しい土地を目指しているとのこと。そして私から「全市町村に足を踏み入れることを目標に」と言ったところ、「そんな人は初めて見た」と変に感心されてしまいました。他の2人も相当変わっていると思いましたが、こうした見知らぬ人と話が盛り上がるのも、離島ならではなのでしょう。

 

最終日、帰りの船便に乗るため港に向かう途中、野生化した孔雀の群れを見て最後の吃驚。
これで今回の島旅は終了です。