行動観察8:記問之学か博学多才か

2016年12月15日

記問之学~書物や他人の考えや意見を覚えるばかりで、これらの知識を生活の中で役立てないことを意味する四字熟語。これから本格化する大学受験などは、社会常識としては必要な知識でも、実生活で役立つことはまず無いという意味で、「記問之学」に類するのでしょう。

 

さて、私の次女は、来春より社会人1年生です。長女・次女とも、私と違って、最初の職業選択として公務員は選びませんでしたが、公務員の多い私の家系が、私の子供の代で変わるかは、現在高校生の長男次第です。
私は、30年前、国家公務員試験合格のために勉強をしましたが、その時の知識が実際の仕事に役立ったことは一度もありませんでした。特に、現在、基礎能力試験と言われるものは、公務員として必要な基礎的能力を確認するとの位置づけですが、個人的には、TVのクイズ番組に出てくるような奇問・難問に近いものと感じます。数多くの受験生を落とすために、こうした性格になるしかないのでしょうが、これをクリアした者が、真に国を担うべき者の候補と言えるかは疑問です。こうした試験により試される知識・情報は非常に断片的で、そのまま実社会に活かされることはないからです。

 

実社会で直面するのは正解のない問題~賛否の分かれる問題ばかりであり、公務員試験で確認される「正解のある問題を早く解く技術」に、いくら長けていても、何ら役に立ちません。確かに、こうした試験をクリアした人で構成される役所には、博学多才~知識が豊かで、多分野の才に恵まれている人は多いと思いますが、彼らが役に立つ存在かと言うと、必ずしもそうではありません。
賢いと思われる幹部ほど、先が見えすぎて、細部が気になり部下を質問攻め・・部下は疲弊してくるが幹部は決めきれない・・無駄に仕事が増え、ストレスが溜まるといったことが起きがちと聞きます。「一度決めたはずのことも手戻りする」ということもあるとのこと。知識・才能が豊かなだけでは、「決める」ことはできないのでしょう・・。

 

こうした「決める力」は、役所が、自ら提案して批判を浴び、政治調整するといったことが当たり前だった時代には、自分で決めないと何も進まないため、身につく機会も多かったのでしょうが、政策立案も役所側から政治側に移っている現状では、どうしても「受け身」にならざるを得ず・・力が低下するのかもしれません。また、以前は、実質的公平は何かと考える判断力が重要だったのが、今は、政策提案する内閣等との調整力が大事になっているなど、求められるものが変わってきているのも事実です。こうした役所の環境や役割変化が、外部の人に違った印象を与えて来ているのでしょう。

 

しかし、今の厚労省は、10年以上前に世の中に打ち出して反対を受けた案を着実に実施している点は立派と思う一方で、10年後に実現するような「大風呂敷」を広げていないのは気になります。過去の貯金で食っている今に安住せず、10年後何で食べるのか・・今から実学として考えて欲しいものです。未来に種を撒くのも大事な仕事です。