行動観察7:大同小異か凡事徹底か

2016年11月15日

大同小異~細かい部分にわずかな違いはあるが、おおよそは同じであることを意味する四字熟語。大局を語るときに使われる言葉ですが、その類義語には、五十歩百歩・どんぐりの背比べと、「そもそも大したことないもの」という暗黙の前提がある用語が並びます。

 

今では、お役所が審議会の意見書の原案を書くことはなくなったようですが、私が若手職員だった頃は、審議会・検討会の最終意見書の原案を書き、それを基に、関係者の意見調整をしてとりまとめるという手順を踏んでいました。
その際、どう考えても大多数の委員の意見と同じと思える一部委員から、他の委員との小さな違いに拘り、その相違点を最終意見書に書くことを求められたことがあります。いろいろ話はするのですが、どうしても納得してもらえず少数意見として付記すると、他の委員の中からも、私の意見も付記して欲しいとの意見が出たものです。私から見れば、大同小異なのですが、各委員から見ると、違っている点が大きく見え一致している点が小さく見える・・大異小同だったのでしょう。

 

こうした場合、審議会終了後における法案作成段階でも、小異を捨てて大同につく~意見の多少の違いは無視して大勢の支持する意見に従うという行動は期待できず、審議会終了後における法案作成段階で徒に時間を要することが続いたものです。
今回、この言葉の産みの親である中国では、「求大同,存小異」~「小異を残して大同につく」と使われることを初めて知りましたが、当時、これを知っていたら、もう少し意見調整も上手にできたかもしれません。小異を決して無理して捨てず、しばらくの間棚上げしておく・・時間とともに生じる情勢変化で大同が小異になり、小異と思っていたものが大同になる事もある・・これを捨てずに残しておくからこそ、次の展開もあり得ると考えられれば、自分の思考が広がったと思うからです。安直に大同小異と考えたのは、思考停止の表れだったのかもしれません。

 

さて、一見すると小さなことと思えるものの中に大事なものがあることも真実です。
外部の取引先に対して丁寧な挨拶や小まめな連絡を心がける職員に対して、「そんなことして意味あるのか」と幹部職員から言われた・・という相談を受けたことがあります。その職員の行動は、「丁寧な対応をしていると、いざ困ったというときに協力してくれるもの」という良い経験則に基づくものであり、その幹部は取引先には横柄で高圧的に接する悪い傾向がありました。

幹部は気づいていないようでしたが、職員のその行動のお陰で、結構、外部の事業者に助けられていることは事実でしたので、「馬鹿な幹部のことは気にせず、大事と思うことをしなさい。」と言うしかありませんでした。

 

凡事徹底~小さなことでも当たり前のことを当たり前にやる・・簡単に見えて難しいことですが、こうした人が大事にされる組織・社会であって欲しいものです。

少なくとも、やってもやらなくても大同小異と安直に考える人よりは、組織や社会の役に立つでしょう。