旅の楽しみ67:潜伏キリシタン関連遺産に沿って天草へ(離島訪問)

2016年9月25日

今月は、仕事の前後に、西彼杵~島原~天草と潜伏キリシタン関連遺産に沿って移動です。

 

ここ数年、個人的な付き合いのある法人を訪問して若手幹部と交流することが続いていますが、今回は、あるテーマで、当該法人の担当者と他法人等で活躍した人の双方から発表をして、意見交換をするという形式に。その前後で、いくつかの意見交換という企画です。

22日に、私を含めて地方からの参加者が便利な福岡空港に集合。そこから、夜の意見交換に向けて車で移動開始ですが、少々遠回りをして西彼杵半島を南下します。目的は、世界遺産候補である「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連資産」です。大野集落、出津集落から大浦天主堂と3つの構成資産を見て、何とか時間ぎりぎりに集合場所に到着。若手職員との意見交換が始まりました。

 

翌朝、二日酔いのまま・・メインの企画が始まりましたが、現地法人の発表を聞きながら、少々、残念な気持ちになりました。この数年で、ルール作成を中心に改善を進め、問題の早期発見はできるようになったのですが、実際の問題解決には至っていません。安全確認など、同じ指摘が繰り返されても、当の事業所は「人がいない。忙しい。」を理由に改善しないことを聞きました。何年か前にした話と同じことを言ったうえで、人が起こす問題を人の意識で改善することは無理~設備・用具で改善すべきと助言はしましたが、一部の人を除き、ほぼ理解はされなかったと思います。やはり「精神論」が主流な業界なのでしょう。

 

二日酔いが醒めた頃に、公式予定も終了~島原半島の南端を目指します。時間もなく、世界遺産候補の原城跡は遠目に見るだけにして、天草へのフェリーの出発時間に滑り込みです。30分ほどの船旅ですが、こうした船の移動は、なぜか長閑な心持にさせます(写真)。島旅の一つの楽しみです。
フェリーの到着地は天草下島です。車で直接行ける島としては、淡路島に次いで2番目に大きな島です。しかし、天草下島をしばらく移動すると、「島原・天草・長島に架橋を」という看板が目につき始めます。島原半島に住む若い人は、「長崎市に行くよりは、船で熊本に行きます。」と言っていたのを思い出し、「仮に、島原・天草・長島間に橋ができても、地元の人は通るのだろうか・・。既存の橋で熊本に行くだけでは・・。」と不思議な気がします。構想が実現すれば、もちろん便利にはなるのでしょうが、船での移動という島の楽しみを無くすことが良いことなのかは、難しいところでしょう。

 

24日は、今回の潜伏キリシタン関連遺産の最後・・天草の﨑津集落に向かいます。
崎津教会堂のほか、古い宿泊施設を改修してオープンしたばかりの資料館も見学しましたが、2人の若い職員が初々しく働く姿や、地元の方が慣れない姿で物販する姿は、なかなかよいものです。地元振興のきっかけにという意欲が感じられます。西彼杵の2つの集落とは異なり、結構な数の観光客もいましたが、中には、宗教にはなじまないアルコールの入った団体客もいて、観光をベースとした地元振興の難しさも感じます。

 

島内の移動中、救急車が走る姿や大きな病院も見えて、いつもの小さな島とは、だいぶ雰囲気も違うなと思っていると、天草上島から宇土半島に向かう天草5橋で渋滞になりました。表示を見ると、「天草5橋開通50周年」とのこと。吹奏楽のメロディーも流れ、記念イベントが開始される様子。橋の記念イベントは初めてですが、天草の振興には橋が不可欠だったという地元の方の気持ちの表れなのかもしれません。Web検索では、償還期間39年を見込んだ有料道路として始まった天草5橋は、開通後、天草への観光客が急増し、わずか9年で償還を完了して無料化されたとの由。島原・天草・長島の架橋も、予測を超える効果があるのかも・・と考え直して島を出ました。
もしかすると、訪問した法人も、私の考えを超えて結果を出すのかもしれません。

 

(後記)
その後、熊本震災で大きな被害を受けた地の一つである益城町に向かいましたが、あまりの状況に絶句しました。通行止めの道路や波打つ状態の道路も多く、市街地には倒壊した家がそのまま、中には車を押しつぶしたままの状態で異様に感じる家も・・よく目にする「頑張ろう熊本」のキャンペーンで、何となく復興の段階かと思いましたが、復旧がこれからのところも多いとの実感でした。
新たな事件・災害があるたびに、過去の記憶が薄れて行きがちですが、時間が過ぎても問題が解決するわけではないという現実をよく見て、考えることが大事と、改めて認識しました。