2016年8月15日
英俊豪傑~多くの人の中で特に人並みはずれて優れている人を意味する四字熟語。「英」「俊」「豪」「傑」は、それぞれ「万人」「千人」、「百人」、「十人」に一人の逸材の意です。
これを現代の話として考えるのであれば、各事業組織の構成をイメージするとわかりやすいでしょうか。かつて所属していた厚生労働省を例にすると、次のようになります。
まず、国家公務員試験に合格することが必要です。試験の倍率は、試験区分により違いますが、最近では概ね5倍から15倍程度であり、合格者は「傑」と言えるでしょうか。次に、厚生労働省本省の職員数は約3千人ですが、うち部局長は20人、課長は100人程度、課長補佐等は300人程度となり、部局長は「俊」、課長補佐等は「豪」、課長はその中間というところです。これらは大企業等の採用や組織においても同じようなものと考えられます。
しかし、採用試験をクリアしたからと言って、また主要なポストに着いているからと言って、それが優れた人を意味するものでないことも、誰もが実感していることです。
特に、お役所では、現在でも、部局長、課長等のポストは、それぞれ概ね3年程度の範囲で同世代の人が占めています。いわゆる年功序列です。年功序列の全てが悪いわけではありませんが、この弊害として数年に1人くらいは、「えっ、この人が・・」という言葉が思わず出るような人が部局長になったりすることもあります。こうした人は、大概は短い期間で離職するのは良いことですが、その間、その人の下で働く人は大変であることは言うまでもありません。
多くの普通の公務員は、部局長等のポストに着いても、その職務を一時期預かっている~重い責任を果たして次の人に無事譲り渡すと考えるものですが、こうした困った人は、ポストに着いたことで自分が偉くなったように錯覚したり、他人をポストの高低で評価したりするようです。次は、実際にあった話です。
ある困り者の部長が、当該案件に関する他省部局長との折衝では、腰が引けて、言うべきことも満足に言えない状態で、できないことを危うく引き受けそうになったりと・・外に出すことも憚れるような存在だった一方で、他省庁から特別に出向で応援に来てくれた職員に対しては、「君は私のことを知っているのか。この組織の最高責任者なのだ。馬鹿にしてるのか。」等の罵詈雑言を、書類とともに投げつけた・・と、投げつけられた本人から報告を受けました。私としては、どんなに馬鹿な部長でも、他省庁の人にまで失礼なことはしないだろうと考えて、ある案件の部長への説明担当にとお願いしていたのですが、私の予想を下回る低レベルに驚きました。
要は、自分のポストより同格以上の人には何も言えず、下のポストの人に対しては尊大に振る舞うという人だったということなのですが、こうした人は、どの組織にもある一定の比率で、幹部・管理職等にいることでしょう。
自分より強い者を知るという意味では、「夜郎自大」よりは、マシかもしれませんが、自分の力量を知らずにいばる「夜郎自大」のほうが、罪は軽いかもしれません。
皆さんの周りには、英俊豪傑や夜郎自大と思える人が何人いるでしょうか?