旅の楽しみ64:初夏の能登半島から50km 舳倉島へ(離島訪問)

2016年5月22日

今月は、石川県輪島市から50kmの距離に位置する舳倉島です。

 

土曜日に高岡で人に会う用事が、また、月曜には名古屋で仕事という合間を縫っての日程です。以前は輪島に行くのも大変でしたが、高岡からは「能越道」が完成し、時間距離は短くなり、また高岡から名古屋も東海北陸道で、比較的短時間で移動できることを考慮しての強行軍です。

 

さて、輪島を舞台にした朝ドラや北陸新幹線開通の影響あり、このエリアへの人の移動は何割も増えたとのこと。昨日19時過ぎに自車で入った輪島のホテルも、ほぼ満員。以前来た時とは、感じが違います。
本日早朝、事前予約のできない定期船のチケットのため、7時30 分過ぎには船乗り場でチケット購入し、出港時間まで輪島の朝市を見学です。既に結構な人出に、少々、圧倒されましたが、売っているズワイガニの箱にはロシア産と表記など・・観光客目当ての朝市になっているらしく、少々残念な感じでした。

 

9時出発の定期船に乗ると、今度は服装、装備の違う方々に圧倒されました。
ほぼ全員が、大型の望遠レンズ付のカメラ、高性能の双眼鏡・・中には無線を持った人もいます。舳倉島は渡り鳥の休憩地とのことですが、こんなに大勢の人がいるとは思いませんでした。船は、無人島群の横を通り、90分で舳倉島に到着しましたが、船のデッキで最後までカメラで鳥を追いかける人がいたことにも驚きました。

島に着くと、乗客の皆さんは、一斉に目的の地に動き出しましたが、鳥が目的でない私は、しばらく港で休憩です。こうした離島では、定期船で来た観光客向けに、一定のビジネスが存在するものですが、ここでは小さな店舗もありませんし、唯一の自動販売機も故障中の張り紙・・港で働く漁協の人も、船から降りた人に特に関心を払うわけでもありません。その後、2時間かけて島を散策しましたが、島の人に挨拶をしても、笑顔で迎えられるわけでもなく、あまり歓迎されていない・・という感じです。

 

舳倉島は、以前は、漁業権を持つ輪島市海士町の海女たちが、6月に島に渡り10月に島を離れるという場所だったようですが、発電所や簡易水道の整備がなされ、年中、住むようになったとのことです。しかし、島内を散策すると、使われなくなった学校(休校中)、板で窓が塞がれている駐在所、閉鎖されている展望台など、公共施設の縮小が目立ちます。また、集落のあちこちに取り壊された家の残骸が残っており、本日も、重機で1軒の空き家を取り壊していました。ただ、島内の診療所には、誰かが住んでいる様子が・・WEBで検索すると、輪島市立病院の付属診療所として、1名の医師が半年交代で派遣され、週5日の診察が行われているとのこと。医療だけは、頑張っているという感じです。

これまで行った島々は、島に市町村の行政庁が置かれているところ(一島一村など)でしたが、人口が少なくても、学校、警察などはありました(医療はなくても)。今回の舳倉島は、遠く離れた市の一部でしかないため政治的な求心力がなく、公共施設の縮小を招いているのでしょうか。せっかく大勢の人が島に来るのに、島として観光に力が入っていないように見えるのは、これも原因の一つかもしれません。海女と渡り鳥で知られる舳倉島ですが、この2つの島の財産が、それぞれ別のものとして、無関係に存在しているのを見るのは不思議なものです。

 

鳥目当ての人たちは、最後まで無線で連絡をとりあうなど、島内を急ぎ足でしたが、そうでない私は、海岸沿いで仕事をする海女達(写真)を見ながら、島内7社の神社をゆっくり巡って(一つは離れ島のため対岸から)、聞きなれない鳥の声に囲まれ、金曜に訃報を知った知人のことを思い出していました。
できれば昨日の葬儀にとも考えましたが、物理的に厳しいこともあり不義理に。島内の神社で、彼の冥福を祈るとともに、悔いのない人生であったことを願うばかりでした。