旅の楽しみ63:日本で最も人口の少ない村にヘリで向かう(離島訪問)

2016年4月17日

年末年始は、慶良間諸島、与論島、多良間島と沖縄周辺の島を巡っていましたが、今月は、東京都に属する青ヶ島です。
東京港から船を乗り継ぐのが伝統的なルートのようですが、長時間の船旅に耐えられる年齢も越えたことから、今回は、金曜日に羽田から八丈島まで航空便で移動し、翌朝の民間ヘリ(定期便)で青ヶ島に向かいます。
 
八丈島から70kmほど南にある青ヶ島ですが、白波の立つ青海原を下に見ながらの、9人乗りヘリでの移動は20分程度。島の周囲は切り立った断崖ばかり・・その景色に圧倒されながら青ヶ島に到着です。
人口は170人弱とのことですが、ヘリポートには数多くの人が集まっています。島に来る人、それを迎える人たちと、島を出る人、それを送る人たちですが、総勢50名近くはいます。毎日飛ぶヘリは、ほとんど予約でいっぱいですので、こうした賑わいが毎日生じているかと思うと、離島らしからぬ不思議な気もします。
人混みの中から宿の人を見つけ、まずは宿に向かいます。外食のできない青ヶ島では、一泊三食が普通とのこと。これも初めての経験です。
 
昼まで時間があるとのことで、宿の勧めで、まずは大凸部展望台に向かうことに。話では、気軽に登れるとのことでしたが、実際は、結構な階段を登る道で、途中で息切れ。何とか標高423mの島最高点にたどり着き、青空の下、360度の眺望を見ながら涼しい風に吹かれると、目の前の2重カルデラや周囲の太平洋をゆっくり見る気分に。なかなか他では見ることのできない景色であることは間違いありません。
昼食は、カルデラ内の自噴する水蒸気を活用した地獄釜という設備で、宿に用意してもらった食材(ソーセージ・干物・芋など)を蒸して屋外でとることに。食事しながら、下から山塊を見ると、まさしく絶壁が取り囲んでいるという景色で、これもなかなか見ることのできないものです。
しかし、すべて自然という感じではなく、あちこちに工事現場らしきものが見えるのは面白いものです。島には、崩落した道路の修復工事の現場や、建設会社の常設の事務所もあるなど、秘境とは異なる側面も見せています。ヘリや船で島に来る人の半分程度は、旅行者ではなく、工事関係者という話も聞きましたが、小さい空間に、いろいろなものが詰まっている不思議な島です。
 
夜は、宿の女将さんが作る手料理でしたが、小さな部屋に総勢10名弱が座る状況に、少々びっくり。
自ずと、ゆっくり食事というわけにはいかず、島特産の「青酎」を片手に、近くの人と話をしながらの食事に。まずは、同じちゃぶ台の2人と、どこの離島がよかったかという話題で盛り上がります。2人は、30歳台の男性でしたが、会社を休んで島に来たとのこと。大学時代から2人で旅行をし、今でも1年1回は一緒に行動しているようです。当時の自分は、島に行こうなどと思ってもみなかったな・・と思い出し、今の自分の変わりように苦笑いです。
続いて、諏訪大社の御柱祭りを無事終えて島に磯釣りに来た、私と同世代と思える2人との話に。祭りの危険さや、大事さの話から、25kmの魚を青ヶ島で釣った話まで、笑いながら夜は更けていきました。こうした知らぬ同士の他愛もない会話も、島での楽しみに一つなのかもしれません。
 
さて、本日朝、帰りのヘリに乗ろうとすると、あちこちで「困った」という声が聞こえてきました。
八丈島発の航空便が全便欠航となり、昨日の30歳台の2人も含めて、月曜からの仕事に間に合わないことが原因のようです。大島までヘリで行って船で東京という選択肢も、早々に大島初の船便は全便欠航が確定。皆さん、八丈島泊まりとなったようです。
私は、三宅島までヘリ、そこから調布へ航空便という予定でしたので、まずは、三宅島まで移動することに。たまに風速25mの風が吹くなか、ヘリは無事に三宅島に着き、あとは天候次第となっていた航空便に期待をしましたが、14時前には欠航が決定。離島宿泊、3泊目が決まりました。
 
しかし、17時過ぎには晴れ間も見えてきて不思議な気分に。
もしかするとシーズンオフの三宅島の宿泊客を増やすための作戦か・・と苦笑いです。せいぜい、島の名物でも食べることにしましょう。
 
 
九州地方の震災 早々に収束することを願うばかりです。