Episode146「正式内定の日にも波乱が・・またも人事課長と一悶着」

2016年1月18日

人事課長からの一言はありましたが、私の内々定が取り消されることはなく、採用面接の時期は終わりました。
その間、一度は内々定を受けたものの、その後に採用された者(縁故採用と思われる者)と仕事はできないといった理由で他省庁を選んだ人などもいて、最終的に残ったのは11名と、前後の年次でも少ないものでした。こうした事情も、私の採用が取り消されなかった背景かもしれません。

 

 

内々定後、数か月は、厚生省には一切連絡をせず、工事現場で交通整理という当時では割のよいバイトに専念していました。昼と夜とを掛け持ちして1日2万円程度の額でしたし、バイト先からも戦力として期待されていたからですが、就職後のことを考えたくないという意識も働いていたのでしょう。

しかし、正式内定の日が近づいたときに、厚生省から電話がかかってきました。

 

「やっと連絡がついた。」と何度も電話した様子で、「今度の1日には、正式内定の日だから○時までに来てくれ。」との内容でした。これですっかり嫌な現実に引き戻され、思わず、「遅れないように頑張ります。」と気のない返事をしてしまいました。
厚生省の内定式の前日、どうしても断れ切れずに、夜のバイトを入れたものの、予想に反して工事が遅れて間に合わないかという瞬間もありましたが、何とか、内定式直前、駆け込むことができ、一安心。あとは儀式だけと思いましたが、そうは問屋が卸しませんでした。

 

国旗を背にした事務次官の前で、内定者が一人ひとり挨拶をする手順で、順調に進んでいったのですが、私の時に、同席していた人事課長が、私の言葉に対し急に発言しました。さすがに黙っているのも変なので、それに対して私の考えを述べると・・なぜか、人事課長は怒ったように話し始め・・、さすがに、徹夜明けで疲れていたせいか、相手をするのも嫌になり、「そこまで嫌なら、こちらから内定はお断りします。」と言おうとしたところで、事務次官から、「まあまあ、若い人のことだから、人事課長もほどほどに。」といった趣旨の発言があり、その場が終わりました。

 

数日後、その時の話を、検察官の叔父の家ですると、「面白いこともあるな。吉村次官は、近所に住んでいて、息子同士も仲が良く、家族ぐるみの付き合いだ。不思議な縁で入ったのだから、頑張ってみろよ。」と諭されました。確かに、人事課長と内定者のいざこざなど、常識的に考えれば、人事課長の立場・意見を重視するものですが、それでも中立的(に見えるよう)に裁く大幹部もいるのだと、変に感心したことは覚えています。

結果的には、初めて会う事務次官に助けられたのですが、それが良かったどうかは、未だにわかりません。あれで決裂してれば、事実上、民間の選択肢はないため、司法の世界に入り、厚生省汚職を追及する立場になっていたかもしれません。

別の人生も、それはそれで面白かったのでしょう。

 

さて、入省前に、浅からぬ因縁ができた人事課長ですが、入省後には、特に接点はありませんでした。

唯一の接点は、採用された同期一同で人事課長に御礼を示す夕食会が開催されたときですが、その時は、司会進行の同期の1人が、「今日は無礼講で」と暴言は吐き、人事課長の顰蹙を買い、私は表に出ずに済みました。その会合後直ぐには、課長は環境庁(当時)に審議官として出向し、その後、厚生省には戻ることなく、環境庁局長の現職のままで亡くなられました。聞く限りでは、仕事には真面目過ぎるくらい真面目で、それも原因で亡くなったとのことです。

しかし、なぜ、一緒にやっていく自信がないと言われたのか・・直接、仕事をすることはありませんでしたので、聞く機会はありませんでした。口の悪い同期は、「お前と一緒にやっていく気がないから出向したのさ」と、私をからかっていましたが、できれば、人事課長としての発言の真意を聞きたかったと、今でも思っています。

 

こんな調子で4月から厚生省の一員となりましたが、初日から辞めたくなったのは既述の通りです。

しかし、辞める前提で始めた厚生省で、20年以上も働き、最後は他省庁の人から「なぜ辞める」と言われるようになったのは、自分でも面白いものです。まずは、やってみる・・大事なことだと今は思います。