Episode140「最初の局の最後の仕事 専門の違う二人の共同作業」

2015年11月18日

最初の局での最後の仕事は、保育でも障碍でもありませんでした。
なぜそうなったのか・・きっかけは思い出せませんが、年末に、企画課の専門職と2人で、局の会議室に籠って、ワープロを挟んで共同作業をすることに。作業の目的は、児童相談所の運営に関するガイドライン~当時は児童相談所執務提要と呼ばれていたものを全面改訂するというものでした。

 

どう考えても、児童相談所を所管する企画課の仕事ですので、私の出番はないはずです。今から思えば、雑件処理が多い企画課の法令係は、年中、貧乏暇なしの感じでしたが、私のほうは、年末の予算時期もあって暇でしたので、それを見越して、専門職が私を巻き込んだのでしょう。結婚後に、夫婦で専門職の自宅に伺うなど、公私ともに親交も深めつつあったので、「1か月の研修で、それなりに理解したし、所管外だが勤務時間外なら・・」と、私も軽い気持ちで始めたのかもしれません。

彼の発想は、「今の執務提要は、役所の組織令のように、組織別に役割を書くもので、現場にとって使いづらい。」「今回、全面的に改訂する際に、相談所が担う業務別に、必要性の明記、業務フロー、留意事項等を整理したい。」というものでしたが、その大変さが、私には全くわかっていなかったのも、彼にとっては幸いだったのでしょう。

 

最初は、彼の文章を見て、意見交換して修正するという感じでしたが、なかなか進みません。そのうち、彼の考えていること、書きたいことを、私がヒアリングして、その場で、私が文章化していくという作業に切り替わりました。
しかし、彼の専門は心理ですので、私のような事務職には、聞いただけでは理解できない、「業界用語」を連発します。意味の分からないままでは、文章にできないので、「何を言っているのかわからない。日本語で言って。」と切り返すと、最初、彼は、自分が当たり前と思っていることが、相手に通じないことに驚いたようで、「素人」にわかるように説明することに苦しんでいるようでした。一方、私も、ルールの決まった行政文書はともかく、読んでわかることが求められる文章づくり~それも薄い本になるくらいの長文を作成するという初めての経験に戸惑っていたのが正直なところです。

 

お互いが、こんな調子でしたので、勤務時間外だけでは全く進まず、そのうち1日の大半を使うようになりました

当時、こちらは暇でしたので、特に、所属する課に許可を得ることもなく、「所管外」の仕事をしていましたが、後年、彼から聞いたところでは、企画課の補佐(法令審査委員)に依頼して、しばらく「北川を借り受ける」ことの了解をとりつけていたとのことでした。もしかすると、私に他課の仕事をさせているとクレームがあったのかもしれませんが、20歳代前半の私は、そうした「大人の世界」を気にすることもなく、頭の中は目の前の児童相談所で一杯でした。
確か2週間程度で2人の共同作業は終わりました。もちろん、専門職が種々の人の意見を聞きまとめるための「原案」ができただけで、実際に、後日、多くの変更があったようですが、私としては、それは企画課の仕事で、「黒子としての仕事は完結」との達成感で一杯でした。また、耳学問ではありましたが、彼から「相談所の下っ端としては使えるレベル」と太鼓判を押されたのも満足度を高めたのでしょう。

 

こうした技術職(医師、歯科医師、薬剤師、看護師等)との仕事は、現在まで何度も続いていますが、常に、とことん相手の専門領域を理解し、踏み込んで判断をするようになったのも、この時の経験が大きいのだと思います。自分の知識(判断材料)が増えると自分の判断の質が上がるという確信です。役所に入って3年目でしたが、まさに「三つ子の魂百まで」の通り、得難い経験でした。

後年、大学教授となった彼から、「私の文章は読みやすいと関係者に言われるが、あの時のお陰だ。」との言葉を聞き、大きな仕事ではなかったが、お互いに、よい影響を与え合った仕事だったのだなと、少々嬉しくなったものです。

 

こうした人間としての成長を促すきっかけとなる仕事には、数多く出会いたいものです。
残された時間で、あと、何回出会えることでしょう。