旅の楽しみ62:約15年前に無人島となった野崎島を目指す(離島訪問)

2015年11月14日

今回の離島訪問は、長崎県の小値賀です。
3月に行った新上五島町の北端・・津和崎から間近に見えた島々ですが、五島列島ではなく、平戸諸島に属するとのこと。小さな町ながら、「おぢか島旅」というホームページからは、独自の生き残りを模索しているように感じさせる地域です。

 

さて、小値賀には、佐世保に前泊し、朝の高速船で向かうことにしましたが、前夜の時点で、波浪注意報・・幸いに欠航にはなりませんでしたが、1時間30分揺れ続け、少々船酔い気味で小値賀到着。港では、おぢかアイランドツーリズムの担当者の「揺れましたか」との第一声で出迎えを受けました。時化で、高速船は頻繁に欠航になるとのこと。まずは、予定通りの到着を喜ぶことになりました。

 

また、港では、救急車が待ち受けており、これから患者を高速船で佐世保に搬送する体制でした。3月の五島では、大村のNHO長崎医療センターにヘリで搬送されると聞きましたが、小値賀では、通院等の便が良い佐世保に、船で行くことが普通~場合によってはチャーター船で運ぶと、出迎えの担当者から聞くことに。そう言えば、2月の大分姫島では、救急車自体がフェリーで往復していたことを思い出し、島だから何でもドクターヘリではなく、各地域の特徴で患者搬送方法は変わるものと再確認です。

 

予約した古民家宿泊は、14時がチェックイン。それまでの約3時間、島を一周りです。
五島列島に連なる島ですので、急峻な地形かと思いきや、先月行った壱岐のような雰囲気です。平地も多く、農地も目につき、土地も肥えているとのこと。小値賀の神社も、元を辿ると壱岐に関係があるらしく、確かに五島とは違う雰囲気です。住む人も、五島よりは平戸の一員との意識も強いようです。ただ、壱岐のように、歴史的遺産が数多く残っているわけでもなく、観光地という雰囲気ではないことも間違いありません。

 

島周りを終え、3月に津和崎にてスマホで検索した寿司屋で遅めの食事を摂り、本日の宿~古民家に向かいます。

住む人がいなくなった100年を超える古い住宅を町へ寄付してもらい、それを町が改修して、おじかアイランドツーリズムが運営をするという方式とのこと。他市町村と合併せず、自立を選択した町だからこその方法でしょうが、少々高めなせいか、年間を通しての稼働率は高くはないようです。それでも外国人や高齢の夫婦旅には喜ばれそうな雰囲気でした。一方、若い人向けには、民泊がお勧めのようで、例えば、修学旅行の場合には30軒を超える民家が一斉に民泊をすると聞き、少々、驚きました。もちろん、これまでの地道な努力もあって広がってきたのでしょうが、神奈川からの移住者~娘と同世代の担当者によれば、小値賀は、思った以上に開放的なのも背景にあるとのこと。

島にもいろいろあるようです。

 

古民家で静かに一日を終えましたが、朝は、地震で目が覚めました。津波注意報が出て、野崎島への町営船が出るか・・連日の心配となりましたが、これも無事切り抜け、8時には野崎島に到着です。
高度成長期の集団離村などを経て、無人島になって約15年経っていますが、世界遺産登録を目指す旧野首教会(写真)、透き通る海でのカヌー体験など観光資源を活かした取り組みがなされ、廃校を活用した簡易宿泊・休憩施設~「野崎島自然学塾村」には、リピーターの関東・関西の学校を含め、年間3千人程度が宿泊するとのことです。
小雨が降る野崎島では、10名程度の方がゆっくりとした時間の中で思い思いに散策していました、旧教会のほか、廃墟と化した村、牧場跡と思われる場所に集まる野生鹿、小値賀島に水を送るダム(海底に送水管あり)などを見て、いろいろ思われたことでしょう。私は、朽ち果てた集落の神社を見て、「人が住まなくなると、こうなるのか・・」と、最後の住人の神社の神主の気持ちが偲ばれました。

 

途中、総務省が進める地域おこし協力隊の1人として小値賀町に今年採用され、おぢかアイランドツーリズムに出向している青年に話を聞きましたが、「子どもの頃に野崎島にキャンプで来た。その後、毎年のように島に来て、ここで働きたいと思っていたが、夢がかなった。」「地域おこし協力隊は3年が上限なので、その間に、島で働く場を決めなければならない。」とのこと。試しに、「町の職員になれば、ずっと居られるのでは?」と水を向けると、「事務作業が好きではないので、できればツーリズムのような現場の仕事に携わりたい。」との正直な回答でした。協力隊のときには、地方交付税等の支援があるものの、それを定着につなげるには、大きなハードルがあるようですが、彼の希望が3年内に叶うか楽しみです。

 

小値賀に戻る船には、翌日は船が出ない日ということもあり、宿泊施設のスタッフも全員乗船。
無人に戻った島を後にして今回の予定を終了です。

 

※翌15日に上五島経由で佐世保に高速船で戻りましたが、その午前中、同じ船会社の長崎航路の高速船が炎上・沈没とのニュースを見てびっくり。同じ日に2隻沈むことはないと佐世保行に乗りましたが、波浪・津波・沈没と船のリスクを感じる旅ともなりました。