2015年8月8日
今回から、入省後、「平社員」だった頃の話です。
今から約30年前の1986年4月に公務員人生が始まりました。
どうして公務員になったかは、最後に書くことにしますが、4月時点では、「10年で辞める」という気持ちで、厚生省(当時)に入省しました。当時は、今とは違って、お役所全体に時間的な余裕があったのでしょう・・4月の1か月は研修期間とされ、種々の研修を受けることから、公務員人生が始まりました。
記憶は曖昧ですが、最初の1週間は、オリエンテーション的なことが続いたと思いますが、毎日、決まった時間に行くことに慣れることが課題でした。自由な1人暮らしを何年もやっていたので、毎日、朝起きて満員電車に乗って行くということ自体が苦痛でした。確か、結婚前の今の配偶者に、京都から何度かモーニングコールをしてもらったはずです。
第2週目は、代々木のオリンピックセンターで、各省共通の宿泊型研修に参加~毎日の出勤がないので、ホッと一息という感じでした。
この研修は、数百名の各省新規採用者が、所属もばらばらな形で10名程度のグループに分かれ、そのグループリーダーとして入省3年目の先輩(確か自治省の人)が付くという形式です。全員参加の講義などもありましたが、何を聞いたかは全く覚えていません。ただ、どんなタイプの人が各省にいるのか・・人物観察を楽しんでいたことは覚えています。
また、研修中に1度、厚生省の1年先輩が、夜に酒を持参でセンターにやってきました。ある部屋に厚生省関係者が全員集まり、慰労会と称する飲み会をするのですが、本来、研修には外部者の立ち入りも、アルコールも禁止のはず・・。人間関係をつくるという研修の本来目的から大目に見られていたのでしょうが、各省の1年先輩から見れば、5月から後輩として各局に配属される我々の「品定め」という視線もあったのだと思います。
第3週目は、厚生省の研修に戻り、ハンセン療養所などの施設見学の合間に、各局の業務を知ることを目的に、各局の筆頭課長~総務課長、企画課長という肩書の方から話を聞く機会が設けられました。年齢が倍以上の離れた人たちですので、話す内容が面白いはずがありません。配布資料を見ればわかることを、ただ読んでいるような話が続き、参加者全員、概ね寝ていましたが・・人事課の担当者から、「寝ないで、真面目に聞くように」との注意がありました。ある課長から、研修者の態度について、人事課にクレームがあったのでしょうが、「面白ければ、起きて聞きますし、質問もします。」と思ったものです。
それでも、少しは起きているか・・と考え、真面目に聞いたのが児童家庭局の話でした。しかし、若造の私からすると、「内容は最低。質問しても要領を得ない。」と感じられ、同期の飲み会で「5月の配属で児童家庭局になったら辞めてやる」と公言してしまいました・・。
最後の週は、重症心身障碍児施設、特別養護老人ホームなどの施設に1週間泊り込んでの研修でした。基本的には自分で施設を選ぶのですが、児童関係は避けたいと、特別養護老人ホームを選択しました。確か、埼玉の公立施設(写真)でしたが、体位変換、オムツ交換、夜の当直など・・真似事ながら介護職の邪魔にならない程度に働かせてもらいました。
都会育ちの研修生の中には、オムツ交換の臭いに耐えられずトイレに駆け込んだ人もいましたが、田舎で「肥溜め」に親しんできた私には、特に苦でもなく・・育ちによって違うものと、変に感心したことを覚えています。
当時は、同期の合宿のような気分でしたが、今から思うに、こうした現場を垣間見たことが、後々の仕事に役にたったような気がします。今では、忙しさの反映か、こうした施設研修などはなくなったようですが、残念に感じます。できれば、こうした現場のほか、財務状況、人事労務管理などの、事業運営全般を見るような経験が若い頃にあると良いのではないかと・・今の私なら考えるでしょう。
さて、何とか最初の1か月を乗り切り、5月の配属先を聞くばかりとなりましたが、当然のように、悪い話が待っていました。
なお、あまりに評判が悪かった筆頭課長の講義が、翌年から課長補佐の話に変わったことは朗報でした。