Episode129 「家族とともに楽しく過ごした第2の故郷 湖都大津 」

2015年7月28日

大津時代は、仕事の面で成長する最初のきっかけとなったことは間違いありませんが、私的な生活の面でも大きな転機だったと思います。

 

私は、1988年5月に結婚しましたが、それから1年も経ずに大津に出向となりました。奥方は、結婚前は京都で勤務、結婚と同時に東京支社に転勤、さらに大津出向と同時に本社転勤という、当時の女性就労としては珍しい特別な配慮を受けましたが、これで経済的には安定(当時の公務員の給与は安く初任給の手取りは10万以下)し、大津での私的な生活が充実した背景と思います。

当時の会社関係の皆さまに御礼申し上げます。

 

さて、結婚1年目の東京での生活・・2人で出かけた記憶は残っていませんが、大津では2人で出かけた記憶が残っています。
大津に来たばかり頃は、大津の街を知るために、主要な観光地を含めて、週末に自車で街中を走り周りましたが、ほぼ奥方が隣に同乗していたと思います。大津市内が一巡すると、琵琶湖の東部(湖東)にある神社仏閣にも足を伸ばし、そのうち京都、奈良へと行動範囲が広がったと記憶しています。車内の閉じた空間に2人でいれば、自然と話をすることになりますので、それが良い関係の元になっていたのだと思います。

ここ数年来、福井と東京を往復する中、最低でも月1回は、意図的に、一緒に外出する機会を設けているのは、この時のことが背景にありそうです。

 

ある時、奥方の勤務する会社の会長(創業者)のご招待を受け、ご自宅に伺ったことがありました。なぜ、呼ばれたのかは不明でしたが、「奥方があることないこと言って興味を持ったんだろう・・」と憶測し、「面倒だな・・」と思ったものの、奥方の転勤では、特にお世話になっていたので、御礼が必要と思い直して、2人で伺うことになりました。
京都の大覚寺の近くにある高級住宅地の一角でしたが、雰囲気のある住まいに、少々、緊張しましたが、80歳近い会長にお会いすると、20歳代半ばの若造の私にも丁寧に対応してくれました。自分の若い頃の話や創業した頃の話や、奥方に株を進める話などをされたと記憶していますが、そこに居た時間を長くは感じませんでしたので、きっと、当時の私にとって興味深い話であったのだと思います。

 

今から考えてみれば、親戚等を除けば、実質的に初めて、経営者それも創業者と話をする機会でしたので、違う分野の話が面白かったのでしょう。この10年、医療法人理事長、病院長といった経営者と話す機会が増えましたが、この時のような面白さを感じることは、ほぼ、ありません。同じ創業者でも、やはり診療報酬という形で、何をやればいくら貰えると、最初から決まってる医療事業と、顧客に金を払ってもらうには何が必要かとゼロから考える一般産業とでは、生き残る経営者の質は相当違うのかもしれません(残念ながら、この会社も3代目で倒産に・・)。

 

こうした出会いも重ねて、大津の2年目に子供を授かることになりました。最初は、悪阻も酷く大変なようでしたが、それも落ち着き、出産は福井でとなりました。10月末に、無事、出産を終えたとの連絡を受けましたが、子どもの顔を見たのは、出産から数日経った週末。名前を決めるなど、バタバタしていて、子どもができた実感はありませんでした。その後、奥方達が、奥方の実家から私の実家に戻った時、また、福井に戻りましたが、その際、初めて子供を風呂に入れたら、なぜか子供は湯船で「うんち」をして、驚いた私が絶叫・・。それでも、何となく、奥方を含めて、家族を持ったという実感が、はじめて湧きました。

2か月後には、奥方と子供が大津に戻ってきましたが、風呂はあるけどシャワーがない手狭な職員住宅のため、何かと不自由があったと思います。それでも、不満を言わず子供を大事にする奥方を見て、改めて、良い人と一緒になったと思ったことを覚えています。

 

今では、大津で授かった長女は社会人。

次女は就活開始の年、大津に泊まった経験のない3番目の中学生は受験の年と、今年は、忙しい日が続きますが、いずれ、家族5人にて大津で宿泊旅行をしてみたいものです。
当時、奥方と2人で歩いたところを、家族5人で歩くのも悪くないでしょう。