旅の楽しみ56:かみつけの里の歴史と文学を訪ねる(国府散策) 

2015年7月6日

今回は、家族と2人で上野国国府を訪問です。

 

古代、群馬県の一帯は上毛野国(かみつけのくに)と呼ばれ、榛名山南東は車(くるま)と呼ばれていましたが、奈良時代になると、上毛野国は上野国、車は群馬と表記等が変更になり、その後、明治4年に上野国は古代から一番大きな郡であった群馬の名を取り、群馬県となったとのこと。
また、各令制国には、一宮と言われる社格の高い神社があり、地域によっては二宮、三宮と続きますが、上野国には、何と九宮まである特別な地域です。一宮等は、祭神には国津神系統の神が多く、地元の特定の社会集団にとっての守護神であったという説からすると、上野国には、強力な勢力が数多くあったことが伺われ、その歴史にも興味が湧くところです。

 

さて、朝は、サッカー女子W杯の決勝戦と、ギリシアの国民投票結果を見届けてから、いつもより遅めの出発。移動中は、この2つの話題が続きましたが、何と言ってもギリシアの今後が気になります。目の前の痛みが単に嫌だったのか、EUの譲歩を期待してのことか・・は、わかりませんが、自力で問題解決をする気のない結果、何が起きるのか見てみたいと思う出来事です。

 

現地での行動は、敷島公園内にある萩原朔太郎記念館からです。先月、特定機能病院の承認を取り消された群馬大附属病院近くにある小さな施設~父親が医師であった生家を移築したものですが、カギは空いているものの無人の施設。恐る恐る蔵の戸を開け、表示に従い自ら電気をつけると展示品があります。これまでにないスタイルに防犯など気にはなりましたが・・きっと、この方式が続く以上、何の問題も起きていないのでしょう。近くに、バラ園もあり、天気がよければ散策も楽しそうな場所でした。

 

そこから、上毛野はにわの里公園に向かいます。
広さは約13ヘクタールの歴史公園で、園内には、国指定文化財の保渡田古墳群、かみつけの里博物館、土屋文明記念文学館があります。秋にはコスモスが一面に咲くとのことですが、歴史好きの私と文学好きの奥方には、ちょうどよい施設です。
榛名山の南東部に位置するこのエリアは、古墳時代(5世紀)の中心地区・・・上越新幹線の工事の際に、保渡田古墳群に葬られた王族が住んだと推定される巨大な邸宅跡も見つかり、また、周囲の遺跡の火山灰の状況から、榛名山の噴火によって、その王族が衰退したと思われるとの展示を見て、改めて考古学の面白さを感じます。

あくまで今語られる歴史は後代に生きる人の仮説であり、その仮説は、遺跡発掘によって大きく変わるというのを知るに、いわゆる「常識」と言われるものが、いかに脆弱なものかがわかります。こうした「歴史」の変遷を、保渡田古墳群(写真)は、見てきたのでしょうが、何も語るわけではありません。ただ、そこに存在するだけです。

 

一方、奥方は、土屋文明記念文学館を丁寧に見ていました。特に、万葉集の歌人の像と歌が一緒になった展示は気に入ったようです。和歌には、全く関心のない私ですので、館の中で休んでいましたが、奥方は、高校の同期である俵万智さんの色紙(サラダ記念日)を見つけて、さっそく、ご本人に、直筆かどうかをSNSで確認していました。彼女の行動力には、いつも驚かされます。

 

最後に、小雨の中、今でも発掘が続く上野国分寺跡を拝見して、帰途につきましたが、その途中での話に考えさせられました。飛行機等の中で急病人が出て、「お医者様はいらっしゃいますか」とキャビンアテンダントが声をかけたときに、「私が診ます。」と申し出る医者は、どのくらいか・・という奥方の質問についてです。回答は40%・・このアンケートを行った医師のHPに詳細が出ているというものでしたが、皆さんは、どう思われるでしょうか。
米国等では、こうした場合の一次的な責任は航空会社であるが、日本では、診察した医師に責任の有無が問われることから、日本の数値が低いという背景があるとの解説もついているとの奥方の話でしたが、個人的には、「人の命を助けたいと思って医者になったのが2人に1人もいないのか・・」という感想でした。専門が違う、医療訴訟リスクなどの問題はあるのでしょうが、それでも目の前で病人が出ても名乗り出ないという医師の心理状態は理解ができません。私の世代が医師を目指した30年前とは、相当、「常識」が変わってきたのでしょう。

 

しかし、「常識」は移ろいやすいものです。10年後、20年後には、その比率が3人に2人は申し出るようになっているかもしれませんし、そうあって欲しいものです。
群馬大附属病院も、将来、こうした拠点になって欲しいものと思いながら、上野国訪問を終了です。