Episode125 「隣接市との仕事が面白い 違う発想の街づくり」

2015年6月18日

隣接する市同士で一緒に仕事をすることは、あまりないとのことです。
仕事の区域が決まっており、広域の会議等でもなければ、顔を合わせることも少ないと聞きます。しかし、大津時代には、その隣接市と一緒に仕事をする機会がありました。

 

当時、国が都市のICT化を進めるためのモデル事業がありましたが、既に私が赴任した時には、隣接市と共同で事業指定を受け、県をまじえて定期的に会議をする枠組みがありました。その計画内容自体は、大したことはありませんでしたが、隣接市の会議代表者がとても魅力的な人だったことから、会議自体は面白いものでした。
概ね、いつも本題からはずれて、県の仕事の拙さを県出席者に指摘したり、大津市がどのように見えるかという話になったり、地元市の動きが悪いことの裏話を聞いたりと、大津市庁舎にいるだけでは、聞くことができない話をたくさん「仕入れる」ことになりました。

 

ある日、自治体病院の話になりましたが、彼は、「大津市さんみたいに金持ちでないので、病院は大学、民間に任せて、必要あれば補助することで十分や。自前で持っても、素人に、病院経営などできるわけない。」と一刀両断の話でした。当時、私は、医療には詳しくはありませんでしたが、大津市に戻って病院の決算書を初めて見て・・なるほどと思ったことは覚えています。

その時が、病院経営を数字で見た最初ではないかと思います。

それから25年を経て、ちなみに大津の公立病院の平成25年度決算(総務省公表)は、12億の税金投入をしても4億を超える赤字・・120億を下回る売上で130億を超える累積赤字(累積欠損)との数字。改善の種は多そうですが、やはり武士の商法のままなのでしょう。

 

さて、彼は、当時、年齢は30歳台前半。私の大津の同僚は40歳を超えていたので、隣接市の彼は、年の離れた兄貴のように感じられました。そのため、仕事以外のお付き合いも広がったように思います。
一緒に飲んでいると、「かみさんを呼べ」と言うので、「じゃあ呼ぼう」と、本当に奥方を呼ぶと、少々照れた感じで接する姿からも人間味が感じられました。大津在住中は、定期的に、県内のゴルフ場に一緒に行き、ゴルフが上達する道筋を引いてくれたのも彼です。ある時には、国の指定事業関係で、他地域の視察に行こうとなりましたが、視察後の休みでゴルフも・・となり、いつの間にか、本末転倒の「行きたいゴルフ場の近くに視察」との脱線となったこともありました。確か、ゴルフは雨・・神様は、不真面目な一行(もちろん真面目に仕事はしてます)を許すことはありませんでしたが、今はよい思い出です。

 

2年間の大津勤務を終えて、大津市を離れても、年に1回程度は会っていましたが、中国赴任前後で忙しくなってからは、あまりお付き合いもなくなりました。しかし、2年ほどまえに、共通の知人を通じて、現地(写真は地元に残る旧本陣)で飲み会の場を設けてもらい、久しぶりにお会いすることに。

いずれも50歳を超え、当時の元気はありませんでしたが、それでも彼のエネルギーは感じられ、嬉しく思ったところです。

 

その彼から、市を定年退職したとの挨拶状が届きました。少々寂しく思いましたが、再雇用制度で、まだ市で働くとのこと。

後輩達は大変でしょうが、彼の街づくりへの熱意、考えが、私に対したように、また伝えられることでしょう。