旅の楽しみ54:友人夫妻と伊豆国から富士山を眺める(国府散策) 

2015年6月15日

今回は、友人夫妻と我が夫婦4人で伊豆国を訪問です。
この4人での国府散策は、今年2月の安房国に続いて2回目ですが、長距離の車での移動は、友人の奥様が疲れるとのことで、今回は、新幹線で三島へ、そこからレンタカー利用の旅程です。

 

さて、本日9時前に駅に集合でしたが、4人のほかに次女も一緒でした。

昨日、奥方の誕生日を祝うために家に戻っていた次女(長女はドバイへ一人旅・・)も、一緒に駅に向かったためですが、友人夫妻とは10年以上ぶりの再会となりました。JRの発券をしていて遠くで見ていた私には、次女が何の話をしていたのかはわかりませんでしたが、明るく話をしている様子でした。当時、幼かった次女が何かしら覚えていたのかとも思いましたが、あとで聞くと、デザイン等を主とする専門学校の話だったとのこと。友人の娘さんも同じ分野の学校を卒業したらしく、共通の話題で、話もはずんだようです。

 

しかし、久しぶりの再会を終えて、4人で東京駅に向かう途中でアクシデントが~友人の奥様が、北千住で電車から降りる際に、電車とホームの間の空間に足をとられて転んでしまいました。
通勤時間を外しての行動のつもりだったのですが、思いのほかに乗客も多く、降車に急ぐ多くの乗客から押されて、あっと言う間に転ぶという状況でした。それでも電車を待っていた女性に手を貸していただき、何とか打撲程度で終わりましたが、東京の通勤列車の恐ろしさを思い出した一瞬でした。

 

こうしたアクシデントはありましたが、常磐線から東京上野ラインで東京駅に直行し、無事、新幹線に乗り換え、約1時間で三島に到着。最初の目的地は伊豆国分寺~駅から車で数分の地です。
1956年の調査で、講堂・金堂・中門・南門などの遺構が確認され、そのうち塔跡の基壇・礎石が、現国分寺(約50年前に名称変更)の境内に保存されて、国の史跡に指定されています。僧籍を持つ友人は、早速に本堂にお詣りし、本尊の釈迦如来像を見ようとしましたが、御簾の向こう側にあって、ご尊顔を拝することはできなかったようです。こちらは、講堂・金堂跡があるべき、塔跡の北側・・今は住宅地の景色を眺めて、少々、残念な気分でした。

 

そこから国道136号線を南下~世界遺産の勧告が出た韮山反射炉の看板を横目に、30分強で修善寺に到着した頃には、暑い盛りでした。それでも、独鈷の湯から竹林の小径を散歩している時には涼しい風も吹いてしましたが、修善寺にお詣りする頃には、気温も30度前後か・・お手洗いでも、観光ツアーの一員らしき高齢の男性から「本当に暑いね」と声をかけられるくらいでした。境内に響く山羊の鳴き声も、何となく、暑さに参って悲鳴を上げているように聞こえるのも不思議なものです。もう夏本番です。

 

暑い修善寺から、友人の情報~紫陽花や薔薇が見られるとの情報に従い「虹の郷」に向かいます。
高原にあるせいか、虹の郷の到着時には、修善寺周辺より涼しく感じましたが、施設中央部にある日本庭園で7部咲きの紫陽花を見たり、西欧庭園で盛りを少し過ぎた薔薇を見る頃には暑さもピークに。友人夫妻は、前回同様、いつも一緒に歩いていましたが、原則自由行動の我が家は、常に別行動・・私はじっくり花を見るのも暑いので、常に先頭を歩きながらも日陰で休む~体力温存の行為を繰り返していました。

最後は、日本で唯一の15インチゲージの英国製SLに4人で乗って、最初の入口付近に戻りましたが、友人夫妻は左手の伊豆の景色、奥方は右手の土手の植生と、同じものに乗りながら全く違うものに関心がある状況が面白くてなりませんでした。ただ、園内から富士山が見えるとの情報でしたが、残念ながら、その景色は見られませんでした。

 

そのため、急遽、ルートを変更して、富士山の見えるポイントを周ることに・・だるま山高原レストハウスでは、愛鷹山の向こうに薄く富士山が見え、駿河湾に面する煌めきの丘では何とか全景が見える程度(写真)となりました。安房では、小さくくっきりと見える富士でしたが、伊豆では大きくぼんやり見える富士・・いずれも海の向こうに見える富士は綺麗なものでした。

 

ルート変更のため、最後の目的地、伊豆一宮・総社の三嶋大社には予定より遅れての到着となりましたが、何とか参拝することができました。この地は、旧東海道と旧下田街道の交わる三島の中心ですが、この近辺には、未だ発掘されていない国府跡があるとのこと。近くの楽寿園は、月曜日で休み・・三島市内の散策は消化不良で終わった感じでしたが、それでも約6時間の小旅行は充実したものでした。

 

4人の次回の外出は10月。

どの地で秋を感じるか・・選択肢を考えるのが私の仕事です。