Episode122 「対等なチーム関係 上司か部下かは無関係」

2015年5月18日

「基本フレーム」の作業に続き、都市像、施策群の作業が始まりました。
手順としては、各部門から現状と課題に関する資料提出を受け、それを基にして、まとめていくべき事項を目次形式で整理した上で、各事項を文書で記載する作業を進めることとしました。

その後、当該作業が進んだ段階で、いくつかの都市像を導き出し、最終的に、計画文書を都市像ごとに再整理するという方式としましたが、大津市の行政の現状を知らない私としては、こうした勉強しながらまとめていく方式しか選択肢はありませんでした。

 

さて、大まかな目次を作成した段階で、市の行政は総合行政と実感しました。粗々の整理だけでも、まとめるべき事項が100を超えたからです。当時の私では、現状も課題も知らない都市整備、市民行政、消防などの事項が並んでいましたが、なぜか、それをまとめることが楽しみだった記憶があります。若さもあり、知的好奇心が旺盛だったからでしょう。

最初の問題は、どのような形式で各事項をまとめるかでした。以前の総合計画は、「○○をする」という方針だけが書かれているものでしたが、今回の形式について、関係者の意見は、「なぜ、それをやる必要があるか・・読んでわかるもの」「全体として物語のようになっているもの」にしたいという2点に集約されました。
そこで、一つの事項を例示にサンプルを作ることにしました。「商品見本」を見せて、関係者の合意を得ることで、後の作業の揺り戻しが起きないようにするためです。
原則としてA4 1枚という分量制限を設け、私と担当の40歳前後の主査の2名で、「あーでもない」「こーでもない」と、私のPCの画面を見ながら意見交換をして、約1週間かけて作成した「商品見本」は、何点かの修正意見はありましたが、無事、採用されました。

 

一つのパターンが決まれば、あとは何人かで手分けして下作業をし、後で、修正するという作業ができます。本格的に始めることとなりましたが、企画調整室は来客も多く、電話もかかってくるので、3人とも作業に専念できません。このため、厚生省の方式である「タコ部屋」の設置を提案しました。
市では前例のない提案でしたが、周囲の根回しも行いつつ、何とか上司の了解も得て、主査の一人が見つけてきた、長年使われていない部屋(外部からしか入れない倉庫のような空間)にPC等を引越して本格的な作業に入りました。

当初の予定通り、各自分担して現場からヒアリングをしてから原案を作成し、あとで議論して修正するという方法で始めましたが、不慣れなため原案作成に時間がかかったり、各自の文体が異なるため修正に時間がかかったりと、いたずらに時間ばかり経過して、限られた時間で終えるのは不安な感じが漂い始めました。

 

そこで方式を変えて、両主査が集めてきた素材を私が文章にして、皆で議論して修正することにしました。形式的に言えば、上司が原案を作成して部下が修正するという逆転現象ですが、変には感じませんでした。それが3人のチームではベストと思ったからです。
日中は、集まった素材で私が原案作りをしている間に、彼らは次の素材集めをする・・夕刻から私の原案に関する意見交換をという1日のパターンも確立し、順調に仕事が動き始めました。時には、24時を超えるくらいまで、原案修正がスッキリしないとの主査の拘りに対応する時もありましたが、何とか期限内に施策群案を作成することができました。
私は、陽の当たらない部屋で延々文章を打ち続けるという苦行でしたが、彼らも市行政の中で経験のない分野での素材集め、現場ヒアリングも大変だったと思います。それでも、お互いに、及第点の原案ができたと達成感を共有できたと感じています。

 

しかし、タコ部屋での雑談中、収入の話になった時に、共有できない事象に気づきました。主査の2人は管理職ではないので残業手当が出ますが、この期間、結構、遅い日々が続きましたので、相当額の手当が出ていた一方で、私の役職は課長補佐~大津では管理職との位置づけで何時まで働いても給与は変わりません。
思わず「不公平だよ」と言って、さらに「チームで働いているのだから、残業代の一部を私に回してよ。」と続けました。その回答は、「昼飯の時にコーヒー代を払う。」でした。

 

原案を部下に修正される上司、上司の飲食を奢る部下・・どっちが上司か部下かわからない関係でしたが、対等な関係のよいチームであったことは間違いありません。
これが、今でも上司部下は責任を示すもので、実際の仕事は対等・・と考える原点かもしれません。