Episode121 「市の総合計画改定に携わる 何事も最初はある」

2015年5月8日

どこの市にも総合計画というものがあります。
今後10年の市の方向性を示し、部門別に作成する計画の基本となる計画であり、また市長の政治公約の意味合いも持つ重要な計画です。

 

ちょうど大津では1990年に以前の総合計画の期限が切れ、1991年から新たな計画が始まるという時期でしたので、その作成に必要な予算が、私が着任した年~1989年度予算に計上されていました。その内容は、総合計画基本構想の策定等に関して審議する総合計画審議会の予算のほか、都市コンサルタントへの委託予算でした。

当時、都市コンサルタントという名称は聞いたことがありませんでしたので、「どういう仕事をするのか?」と聞いたところ、「総合計画の原案作成を行ってもらう。」「過去の総合計画は、いずれも外部に作成を委託していた。」との回答を受け、少々、驚きました。

国で計画を作る場合には、基本的に国の職員がデータの整理・解析をし、それに基づき自ら政策・施策を考えるのが普通でしたので、重要な計画策定のほとんどを外部委託するという意味が、全く理解できなかったからです。

 

「市の行政の基本となるものは、自ら考え作るべきなのではないか」と、当然のように企画調整室の皆さんに問うたところ、「できればそうしたいが、経験がないので難しい」という現実的な意見と、「せっかく新しいものを作る機会なのだから、できるだけ自分達でやりたい」という意欲的な意見に分かれました。
いろいろとあったようですが、最終的には「新組織ができたのだから、極力、自らやる」との方針となり、私が作業の中核に担うことになりました。まずは、総合計画の枠組みを検討しつつ、各部門が今後10年何をしたいかをヒアリングすることになりましたが、検討・作業の初日から、「大変な仕事を引き受けたな・・」と後悔したことを覚えています。

 

総合計画の構成は市によって違うようですが、大津では、「まちづくりの基本理念」「将来の都市像」「基本フレーム(人口規模・都市構造・土地利用)」「基本方針・政策」「具体的な施策群」の5つで構成されていました。今回改定するにしても、内容はともかく、少なくとも、今の構成は維持しないと、それだけで批判されることは確実と考えられました。ある部分を割愛すれば、「なぜ削ったのか」と必ず問われますが、納得してもらえる回答が思いつかなかったからです。

 

さて、この総合計画の構成うち「基本理念」「基本方針・政策」「施策群」については、基本的には、各部門のとりまとめの仕事であり、何とかなるだろうと思いましたが、「将来の都市像」「基本フレーム(人口規模・都市構造・土地利用)」の2点~特に基本フレームについては、正直、どうしたものかと・・顔には出しませんでしたが、「失敗した」と思ったものです。しかし、わからないものは聞いて、自ら理解するしかありません。何事も最初はあるものです。

 

まず、人口推計については、厚生省が行っていることですので、門前の小僧・・といった体で、何とか市全体の推計を自分で行いましたが、参考表示として、地区別・学区別に出すときには頭を抱えました。いろいろ試行錯誤はしましたが、最後は、関係者の顔を思い浮かべつつ、極力、問題が生じないように数字を配分・調整する(それなりの根拠はあります)・・言い換えれば度胸で切り抜けるしかありませんでした。

 

一方、都市構造や土地用に関しては、助役(現在の副市長)として出向していた建設省(当時)の方や審議会委員に参加していた都市計画の学者、契約先の都市コンサルタントや大津市内の都市計画部門のエースの人から話を聞き、質問攻めにして・・都市計画的な発想、方法論を自分なりに理解し、また、実際に開発予定のある事業の状況も確認して、半年程度で、少なくとも与えられたものを「文字にする」ことはできる水準にはなりました。できあがってしまえば、10ページ程度の資料にまとまる基本フレームですが、「基本方針・政策」「施策群」をとりまとめるのと同等以上の大変な作業だったと思います。

 

しかし、この悪戦苦闘の経験が、その後の仕事の姿勢~異動直後には事実や課題を徹底的に確認するというスタイルに繋がっていることは間違いありません。
何事にも最初はあるものですが、私の場合には、よい人が周りに居たのが幸いでした。