旅の楽しみ52:東日本大震災から4年 復興に動く陸奥国国府を往く(国府散策) 

2015年5月5日

今回は、家族と2人で陸奥国国府です。

 

陸奥国は、当初は、現在の福島県、松島以南の宮城県を対象とする地域でしたが、その後、蝦夷と呼ばれる勢力との戦争等を経て、現在の岩手・青森も含む広大なものとなっていきました。ちょうど、4年前に起きた東日本大震災の被害地域と重なる地域です。
国府の置かれた地は、当初は福島県郡山と推定されていますが、8世紀初、当時蝦夷との境界となっていた地に、軍事的拠点として多賀城が設けられた際に国府も移ったとの由。これまで見て歩いた国府とは、かなり性格の異なるものです。

 

さて、5月の連休となれば、どこかへ一泊で出かけて・・となりそうなものですが、我が家族は、地域活動や学校行事、中3の息子の部活の応援等に忙しく、とてもそんな余裕はなさそうです。それでも1日だけ時間をつくり、2人で日帰りの東北行です。東日本大震災の復興状況については、昨年8月に、岩手、宮城、福島と車で南下することで、私の目で見ていますが、その時、時間がなくて実現しなかった船での松島めぐりも今回の目的の一つです。

 

9時前には仙台に到着。そこから国分寺・国分尼寺経由で、国立病院機構仙台医療センターを横目にみながら塩釜港を目指します。仙台には仕事で何回か来たことがありますが、当時、話をしていた当該医療センターの建替えも進むとのこと。時代の移り変わりを感じます。
道路が混む松島付近に車で入るのは避け、塩釜港から遊覧船で松島に渡る予定で、前日、乗船する船を予約しましたが、その船会社から、駐車場利用に関するメールが届き、車中で家族は感心しています。確かに、こうした情報提供は他の地域では経験がありません。
また、塩釜発の船での島々の案内は、震災当時の遊覧船の避難の話や震災影響で岩が崩れた話などを織り込みながら、いかにもスムーズに進み、耳にも心地よいものです。船内では、お土産品のお勧めもありましたが、これも笑いを誘うような話を混ぜながらのもの・・絶妙な実演販売の雰囲気です。こうした船内の雰囲気にも、家族は「洗練された観光地ね」と感心しきりです。
松島到着後は、福浦島を散策、瑞巌寺に参拝、お土産物屋を見て歩き、海の幸で食事と定番の活動でしたが、私は少々歩き疲れたものの、家族は、福浦島でリースのよい材料を見つけたのもあってか、さらに、ご機嫌の様子でした。

 

しかし、松島周辺は、4年前の震災で、松島湾の入口にある島々が「防波堤」となって、他の地域ほどの大きな津波の直撃は受けなかったようですが、それでも半年間は営業できない状態が続いたとのこと。現在は、数多くの内外の観光客を受け入れ、養殖の漁業もある程度まで戻ってきた様子ですが、この間の地道な努力は想像もできません。
一観光客として、今の松島の良さを喜ぶことしかできないのが、実際のところかもしれない・・と考えながら、松島を後にして、今回の主目的地である多賀城跡と周囲にある陸奥総社宮、東北歴史博物館に向かいました。

 

国府跡は、どの地域でも高台にありますが、多賀城跡(写真)から海岸線を見ると、かつての軍事上の拠点という性格からか・・他の地域より一層高台にあるように感じます。一般的には、川の氾濫など治水が十分でなかったことも背景に、防災の視点から高台に街が形成されたということなのでしょうが、こうした視点で4年前の災害を考えると、明治当初は3千万だった人口が、今では4倍になって住む場所が飛躍的に広がったものの、その間に、街の防災という意識が薄れたということなのかもしれません。
全国の都市部のどこでみられる・・広がっていく市街地という都市風景は、これまでの街づくりの失敗を意味するのか・・。4年前の災害を、どのように未来の街づくりに活かすかが問われているのでしょうが、一度、改めて自分なりに勉強してみたいものです。

 

これとあわせて、今年の夏までに、もう一度、岩手から福島の沿海部の状況を見ることにしました。
何が進み、何が進んでいないのか・・街の風景から考えてみようと思いつつ、帰りの新幹線に乗り込み、今回の陸奥国は終了です。