2015年4月28日
配偶者と招待された歓迎会以降も、しばらくは宴席が続きました。
個人的なものではなく、市長が主催する宴席への参加など、私から見れば宴席とはいえ公的なものばかりです。
今では、1993年以降の食糧費不適正支出問題で、高額な宴席はもとより、こうした宴席自体がなくなっているようですが、私が大津に赴任していた時期は、その直前でしたので、遠方からのお客に市長が御礼を伝える場としての宴席は、市長のキャラクターもあって、結構な頻度で行われていました。
最初は、親族に検察関係者もいたので、税金で宴席というのはちょっと・・というのが私の正直な感じでしたが、実際に、その場に出てみると宴席の主催者である市長の言動から印象は変わりました。
市長の考えを直接聞くことはありませんでしたが、私なりに「市長は、市の発展を持続するため、大津と外部の多様な人間関係を築く外交活動をしているのだろう。」と思いました。もちろん酒席の場ですから、和やかな雰囲気であるのは当然ですが、市長の発言は計算されているようでした。
初めての人には、今回の訪問の御礼を伝えつつ、「大津を知ってもらい、大津市を信用してもらい、いずれ大津の応援団になって欲しい。」との意図が、
長らく関係のある人には、判断に困っていることを伝え、「それに対する意見を聞き、自分の判断が間違いないことを検証しつつ、相手には味方になってもらう。」との意図が、
特別の案件がある場合には、その場で説明・要請等をするのではなく、「いずれ正式ルートで話が動き出す際に、知っておいて欲しいと考える背景や状況を酒席の一般的な話題として提示し、それとなく頭に入れてもらう。」との地ならしの意図が感じられました。
市長は、旧満州から引き揚げて、1945年に大津市に勤務、その後一貫して、行政官、政治家と立場は変わっても、大津のために働いてきた人でしたので、大津をより良くしたいとの想いは誰よりも強く、また、人を動かすための行動も洗練されていたのだと思います。
ある時には、既に夕刻から宴席が予定されているのに、当日に東京に戻らなければならないという人のために同じ場所で16時過ぎから並行して宴席をセット~宴席の掛け持ちの現場も目の当たりにしました。
普通であれば、市長がこんなことをするとは思えないのですが、自らがセットする・・市長がトップセールスを真剣に行う姿を見ていて、当時、今の自分にも、未来の自分にも絶対できないと感じたことは事実です。
また、県幹部と市幹部が定例の協議会後に、一堂に会して宴席となる場も経験しましたが、その際には、知事と市長が、ある政策方針について、笑いながらも真剣勝負をしている姿も見ました。政治家同士のつばぜり合いという意味もあったのかもしれません。
宴席というと、何か、楽しく可笑しくやるだけ、利益誘導を図るだけ・・といった印象がつきまといますが、少なくとも市長と同席した場は、そうしたものではなく、宴席は外交の場であり、場合によっては真剣勝負の場なのだな・・と若造ながらに思ったものです。
もちろん、私は真剣勝負はできませんでしたが、その場を盛り上げるために、皆さんの御手を拝借し、「お座敷小唄」を歌う程度の芸を披露することは忘れませんでした。
しかし、今から考えれば、私が、そんな場になぜ頻繁に出たのか不思議です。
国から来ている私が居れば宴席の話題も増えて、宴席を進める上で便利だったという見方もできますが、私には、宴席の真剣勝負を見せて育ててもらったのではないかと感じます。その後、中国勤務中に、市長が友好都市との交流で中国訪問をされ、北京で宴席を共にしたこと(写真)がありますが、大津時代に育ててもらった御礼を少しは返せたかもしれません。中国時代、宴席での外交術は、少しは上達していたと思うからです。
しかし、今は天国の市長が、これを聞いたら何と言うでしょう・・
「まだまだ青い」と笑われるだけかもしれません。