Episode119 「異文化の交流 お互いの文化を理解することから」

2015年4月18日

配偶者の協力を得て、まずは無事に始まった大津での生活ですが、職場では理解できない言葉が飛び交っていました。
市の行政は、国とは違って極めてリアルです。国では、制度整備など、法令を中心に動きますが、そこには具体的な地名、人名がイメージされることは稀です。公共事業では、国直轄事業があることから、それに関係する限りで、具体的な地名、人名が出てきますが、社会保障制度では、まず、地名、人名が仕事の上で出て来ることはありません。
しかし、制度に基づき、市が実際に運用をする際には、具体的な地名、人名を理解しないと何もできません。市の皆さんの話を聞いていても、地名や人名だということはわかりますが、具体的なイメージは湧きません。方程式におけるXやYのような感じです。

 

まずは市の地名を理解しようと大津市、滋賀県の地図を見ましたが、どう読むのかわからない地名が多数あります。どこの地域でも、そうした難読の地名はあると思いますが、歴史の古い滋賀では、その数が多いのです。
見てもわからないのですから、教えを乞うしかありません。歴史文化に造詣の深い1人の主査の方にお願いして、地名の勉強を始めました。
「穴太は?」「あなた・・」「上田上は?」「うえだかみ・・」「野洲は?」「のす・・」「安曇川は?」「あずみがわ・・」  

大笑いされながらも、「あのう」「かみたなかみ」「やす」「あどがわ」と、それぞれの歴史と文化(写真は穴太衆積み)とともに、一つひとつ教えてもらいました。

 

地名を覚えたら、次は、実際にその地を見て回りました。着任後しばらくしてあった補正予算の市長査定で、「○○交差点の角から3軒目の◇◇さんのお宅の前の道路が・・・」という言葉が市長から発せられ、私は、全く場所のイメージも湧かなかったからです。
休みの日には、配偶者とともに、県内、市内の観光がてら、自車で、あちこち走り回りました。国文学専攻の配偶者は、由緒ある各地に感心していましたが、私は、交差点の名前や道路の構造、商店の場所など、あらゆる情報を運転中も頭の中に刻んでいましたので、当初は、観光どころではありませんでした。

 

数か月かけて、何とか、仕事で使えるくらいにはなったと思いますが、その頃には、逆に、私に影響を受けた人が市役所内に出てきました。
今では、1人1台のPCが当たり前の行政機関ですが、当時は、国も市も課内にあるのは、清書用のワープロが1、2台、計算は電卓で・・という時代でした。しかし、手書きよりワープロソフトでの文書作成、電卓より表計算ソフトでのマクロ計算が効率的という厚生省の先輩の影響を受け、私も厚生省に自前のPCとプリンターを持ち込んでいましたが、一式そのままを企画調整室に運び込み、早々に使い始めました。

 

明らかに、皆さんの目を引いているのは感じました。企画調整室では、私の仕事ぶりを見て、手書きや電卓よりも、効果的で効率的と理解されたようですが、企画調整室に頻繁に出入りしている他の部局の方には、変わり者と思われるだけだろうと思っていました。
確かに短期間で、私の仕事のスタイルの噂が市役所内に広がりましたが、予想とは違った反応が出ました。私が市内の地理を概ね理解した頃に、自前のPC・プリンター一式を職場に持ち込む人が数名出たと、環境部門が長いもう1人の主査の方から報告を受けたのです。彼の後輩で、30歳前半の人とのことでした。

 

個人的には大丈夫かな・・組織で浮かないかな・・と、少々心配でしたが、私のお目付け役の補佐(配偶者の手を握った人)から、「いいことだ。もっと広がるとええな。」と、これも予想外の言葉をいただきました。さらに、「市役所の空気を変えるのも君に期待されていることだから、もっと頑張って。」と続けられました。
この時、私個人の仕事の成果だけでなく、国の仕事の進め方や、新しい仕事の方法など、当時の市役所にはない「仕事文化」を伝えることも期待されていると初めて理解しました。

 

その意味では、PCを持ち込んだ職員はもとより、その行動を認めた上司達も、きっと私のことを受け入れてくれたのだ・・まずは、一歩前進という実感でした。