2015年4月17日
今回は、家族と2人で遠江国国府です。
遠江は、古くは「遠淡海」と表記したとされ、その遠淡海は、一般的に浜名湖を指すと言われています。国府所在地は、中世に「見付」と呼ばれた地で、現在の磐田市になります。
前回に続いて、私と家族それぞれが、福井と東京を出発し、福井と東京の中間にある浜松駅で合流し磐田に向かいます。
合流地の浜松は、市町村合併を経て人口80万人を超える大都市となっていますが、家族は浜松駅で初めて降りるとのこと。高校時代から音楽に親しむ彼女は、駅の構内にピアノが展示されているのを見て、「流石に音楽の街ね!」との第一声です。私は、音楽は聞くばかりで演奏は全くダメですが、長女・次女はピアノとオーボエを、長男も片手間ですがピアノを習うことになったのは、彼女のお陰です。
さて、レンタカーを借りて、ハーモニカをモチーフにした浜松駅前の高層ビル~アクトシティ浜松に見送られながら、浜松駅を出発です。
一度、南下してから、明るい日差しの中、まず、熊野の長藤~推定樹齢800年の国指定の天然記念物を目指して天竜川東岸を北上します。現地に近づくと、翌日から始まる「池田熊野の長藤まつり」に向けて屋台の準備が進められています。住宅地の中の公園ですが、藤の手入れはよくされていて、奥には能舞台もあるなど、雰囲気のよいところです。大学生の頃に謡をやっていた家族は、能舞台をはじめ、あちこち興味深げに歩き回り、また、咲き初めではあるものの、藤特有の香りを楽しんでいます。私のほうは、以前は、花など全く関心を示しませんでしたが、ここ数年の家族との外出で、大分教育されたか、一人での外出のときでも、花に目が行くようになっています。こうした自分の変化も楽しいものです。
そこから、磐田市埋蔵文化財センターの見学、遠江国分寺跡の散策を経て、旧見付小学校と遠江総社の淡海国玉神社に向かいます。途中、見付と言われた宿場町を意識した、地元信用金庫の建物やJAバンクの銀行らしからぬ修景された建物を目にし、面白い街だと車内の2人の会話も進みます。
旧見付学校は、明治8年(1875年)築の、現存する日本最古の木造擬洋風小学校校舎ですが、ここでも家族は花に関心を寄せます。見ると緑色の花・・御衣黄という表示がありますが、花の好きな家族も初めて見る様子です。スマホで検索すると、桜の一種で、江戸時代に仁和寺で栽培されたのがはじまりと言われているようです。しかし、緑色の花とは・・不思議な花もあるものです。
旧見付小学校は、教育資料館として無料で拝見できましたが、これも面白い施設です。明治時代の四書五経の現物のほか、戦前戦後の小学校教科書の実物など、なかなか目にすることのないものが並んでいます。また、受付の方は市職員と思われますが、家族の「空襲とかで燃えなかったのですか」との唐突な質問にも、「隣の浜松が軍需工場もあって空襲がありましたが、磐田は誤爆以外には空襲もなく、文化財が残りました。」との丁寧な回答もいただくことに。
一方、隣の淡海国玉神社は、本殿が改修されたばかりのようなのですが、古材と新材が混じった状態(写真)・・昨年来、結構な数の神社仏閣を見て歩いていますが、こうした改修は見たことがありません。なぜかと考えている横で、いつの間にか家族は神社の清掃をしている高齢の男性に声をかけ、「なぜ改修したのですか」「面白い改修方法ですね」などと、あれこれ聞いています。
「境内にあった杉の大木が倒れて本殿が傾いたので改修となった。たぶん杉の横の歩道を舗装したときに杉の根を切ったのが原因だろう。他にも、同じような木があるので切ったほうが良いと提言したが聞き入れられなかった。」「本殿は文化財なので、できるだけ元の古材を使うということらしい。技術的にはかえって難しいのだろうが。」と、いろいろと教えてくれます。神社のためとボランティア的に清掃をされているのでしょうが、一方で神社の運営等には不満が感じられる話ぶりに、何となく笑いが出ます。
見知らぬ人にでも、自分の気持ちの痞えを話せるのは、良いことなのかもしれません。彼も最後は、機嫌よく話をされていたようです。
男性にお礼を言ってから、福王寺の満開の藤~曙藤(アケボノフジ)というピンクの房の短い珍しい藤を拝見し、国庁跡と言われる御殿・二ノ宮遺跡周辺を見て、最後に天竜川沿いの竜洋海洋公園で、アナゴとシラスを食して今回の遠江国の散策を終了です。
藤には早いかと思っての訪問でしたが、御衣黄桜、曙藤など、初めて見る花に恵まれた1日でした。