旅の楽しみ50:観光シーズンの始まった隠岐 夜桜の下で神楽を見る(離島訪問)

2015年4月12日

今回は、島根半島から北へ50kmに位置する隠岐諸島へ2泊3日で訪問です。
人が住む4つの島~島後島、西ノ島、中ノ島、知夫里島のほか、約180の島からなる隠岐諸島。人口は4島合計で2万人余り、島根県の一つの医療圏(病院は2か所、診療所は20余り)を形成しています。

 

初日の朝、松江から出雲空港に向かうバスに乗りましたが、寝不足で二日酔い・・前日夜、松江市内で知人との飲み会がありましたが、同席していた彼の奥様のペースに乗せられて飲み過ぎの結果です。
彼と松江で飲むのは3回目ですが、今年は彼にとって岐路の年。どのような選択をするかについて話を聞きましたが、徐々に彼の方針も固まりつつある様子・・どのような結論を出すかは彼次第ですが、考えた末の結論ですから、きっと本人、家族にとって、また社会にとっても良いものであることでしょう。

 

しかし、私のほうは、出雲空港を飛び立ち隠岐空港に到着し、レンタカーで島一周を始めても、当日の雨模様と同じく不調な状態が続きます。夕方近くになって徐々に回復してきましたが、かかってきた電話~「本日のローソク島への船は欠航」との情報に、またも気分は低下・・。

宿で風呂に入り、美味しい食事をいただいた頃、やっと普段どおりの調子が戻ってきました。

私と同世代と思われる宿の方に、「ローソク島の欠航はよくあるのですか?」と問うと、「今の季節、半分近くは欠航。波の静かな夏場でも5回に1回は欠航です。10年続けて来ても未だに船に乗れない人もいますが、最初の1回で陽が沈むのを見る人もいます。」との話を聞き、不運の気分が和みます。
さらに、「地元の方ですか」と質問すると、「Iターン組です」とのこと。図々しく、「どのような理由で」と聞くと、「両親が隠岐出身でしたので・・私は関西で生まれたのですが。」と笑うばかりで、その後は、聞くことが憚れるような感じに。50歳も過ぎると、誰しも人に言いたくないことはあるのでしょう。

 

2日目の朝は、前日とは変わって快晴。フェリーで島前(西ノ島)に移動し、島内を観光用の船、バスを乗り継いで見て歩きました。国賀海岸の波は高かったですが、何とか船で洞窟を通ることも成功。聞くと、今シーズン初めてのこと・・本日は運が良いようです。
西ノ島での予定は終えましたが、まだ時間もあると、Iターンによる人口増で有名な海士町に渡ることに。
島前3島を結ぶ内航船に乗り、路線バスに乗り換えて中心部に向かいましたが、バスの乗客の老婦人が、運転手に「あれは誰」と私のことを確認するのが聞こえてきました。小さな島なので、外部者は一目瞭然なのでしょうが、こうした環境で、なぜ人が増えているのか不思議な気もします。
そのバスを降りて、ある展示施設に行ったところ、今回2人目のIターンの人に出会いました。
昨年は全国の自治体から数多くの視察者が来て大変だったこと、自分自身は今勤めている会社の方針が面白くて来たこと、Iターンと言っても島根出身なので島根自体の人口は変わっていないこと、出身地では車がないと買物もできないが島では近くにあるので便利であることなどを聞きました。少なくとも、彼女は、同じ島根の地元より、ここが住みやすく働きやすいと思っていることは感じられました。

 

その後、西ノ島に戻り、食事を終えた後に、隠岐一宮で開催される神楽を見に行くことにしましたが、そこで更に2人のIターン組に会いました。見に行った神楽は、本来は2年に1回のものを、観光イベントとして4月中に週1~2回行うという観光協会企画のものでしたが、Iターン者は、その観光協会5人の職員のうちの2名でした。送迎中や会場準備中に話を聞きましたが、1人は東京の島嶼部から、1人は外国からと、昼とは違って島根以外からの移住者。

2人とも地元の人は温かく受け入れてくれているのが気に入って住むことにしたとの由(個人的には、バスでの経験もあり、釈然としませんでしたが・・)。
イベントとしての神楽自体は、本日2回目で、団体の観光客もなく、観客数に心配があったようでしたが、夜桜の美しさに惹かれてか(写真)・・地元の方も数多く来られ盛況でした。3人の踊り手が小中学生というのもあって、同級生と思われる子供達も一列目で大勢見ていましたし、外国の方も何人かいました。

外国人は、Iターン組の友人とその両親・・昨年は、そうした横のつながりで30か国を超える国から隠岐観光に来たとのこと。Iターンには、こうした効果もあるとわかった夜でした。

 

最終日の朝、宿に近い黒木御所跡に行くと、高齢の男性の方から話しかけられました。阪神淡路大震災後、大阪の仕事を辞めて隠岐に来たとのことでしたが、彼の話で、私の疑問の一部が氷解しました。
「来た頃の島は、いわゆる古老が仕切っている雰囲気が残り閉鎖的で、新しいことを実施するのに消極的であったが、人口が減り、町財政が行き詰った結果、何とかしなければという雰囲気が生まれてきた。」
「主力産業の一つの観光も、宿泊面では課題が大きい。40年前に離島ブームの頃に開業した宿の多くは、冬場の利用客不足のため固定費が負担できず廃業続き。こうした面での公的なテコ入れは必須か。」
「島では、やはり仕事や収入は少なく、一方では物価は高い。松江や広島まで足を伸ばして、購入・宅配したほうが安くて良いものが入る。既存店舗を守る意味から、島にはコンビニはないが、こうした地域経済が良いかどうかはわからない。ただ、生きていくには困らないことは確か。」
「高齢者が多いが、いわゆる長く寝たきりになる人は少ない。食事等が自分でできなくなると、短期間で亡くなることが多く、地元の人も、それが普通と考えている。もし、これが変わると町は立ち行かなくなるだろう。」

 

彼にお礼を言って、境港まで3時間のフェリーに乗り込み、隠岐の旅は終了です。
天気は良かったものの、波が高く、船酔いで、来た時と同じような気分になったのは残念でした。