旅の楽しみ49:三河国で桜の景色を見て歩く(国府散策) 

2015年3月30日

今回は、家族と2人での三河国国府です。
福井と東京を概ね1週間ごとに往復する生活を続けていますが、福井と東京の中間にある三河国で家族と本日合流。私は8時前に福井を出発、家族は8時過ぎに東京を出発し10時に豊橋で合流。朝の福井は霧も出て気温は8度と肌寒かったのですが、豊橋は陽射しも温かく散策には暑いくらいの感じです。

 

最初の目的地へと・・豊橋駅でホームに止まっている電車に乗りましたが、それはJR飯田線。名鉄で国府駅へという予定でしたが、ホームを間違えたようです。東京では、JRと私鉄は、通常別の改札ですが、豊橋では、JRと名鉄が同じ改札でホームも行き来が自由・・思い込みが間違いの原因となりました。しかし、そこは臨機応変の対応・・予定を変更して、豊川稲荷の参詣からです。

 

豊川稲荷は日本三大稲荷の一つと言われますが、本来、「お稲荷さん」は神社のはず。しかし、豊川稲荷は寺院・・しかも境内には大きな鳥居が二つあるなど、不思議な空間です。
到着早々、案内図や由緒を見ていた家族が、「ここは何宗?」と、トイレから出てきた私に質問です。しばらく間をおいて「曹洞宗・・」と回答すると、「なぜ判ったの?」と吃驚した顔をします。
「あなたが、宗派を質問する以上、きっと福井に関連することのはず。日蓮宗などでは質問はしないでしょう。」と応えると、「なるほど・・、よく考えているね。」とのお褒めの言葉をいただきました。その後、「実は、本年1月に砥鹿神社(三河一宮)に参拝した際に、豊川稲荷にも立ち寄り仕入れた情報です。」とネタばらしをすると、「えっ、来たことがあるの・・」との反応。

出先の情報は、毎度FaceBookで家族に提供していますが・・記憶には残っていなかったようです。「お母さんが認知症状態になっても、普段通りなのか、病気なのか、私にはわからない。」という次女の発言が頭をよぎります。

 

豊川稲荷を出て、豊川市役所の方角に歩き出すと、あちこちに桜が咲いている景色が見えてきました。佐奈川沿いは、桜と菜の花が咲く景色(写真)、陸上自衛隊豊川駐屯地沿いは、桜と椿の花(遅めですが)が咲く景色、豊川市役所付近は桜のトンネルに屋台が並ぶ景色と、ちょうど「豊川さくら祭り」の時期らしく散策する人も多いようでした。
家族は、数日前に、防衛研究所を案内してくれた、防衛庁の知人(高校の同級生)にFaceBookで報告しようと、豊川駐屯地の門前であれこれ写真を撮っていましたが、警備の人が、不審人物か・・と見ているようで少々不安です。

また、以前、防衛研究所に関し、知人が「変わり者が多い」と言ったところ、部下の女性から「先生(知人)も結構変わっていますよ」と言われた・・というやりとりに、家族は笑いが止まらなかったとの話も聞き苦笑いです。「悪いことしたかな・・」と言ってはいましたが、反省している気配は感じられません。きっと、私の豊川稲荷訪問と同じく、そのうちに忘れられてしまうのでしょう。

 

豊川の花を愛でた次は、名鉄で国府駅まで移動して、いつものように三河総社、三河国庁跡、国分寺跡、国分尼寺跡を、順次、周ることに。今回は車ではなく、歩きで通しましたが、さすがに13時も過ぎると歩くのも汗ばんできます。息切れ気味に国分寺跡から国分尼寺跡に向かう途中、あれこれ話をしていた家族から「キャー」と悲鳴が・・苦手の蛇が道路を横断していたようです。悲鳴とともに何を話していたのかは忘れたようですが、「急にお腹が空いてきた・・」と食事をしていないことを思い出したのは不思議でした。

 

史跡公園として整備され、青い空と緑の丘に映える国分尼寺跡を終えて、軽い食事をと田圃の間を歩きながら駅に向かいましたが、その時、家族から最後の質問がありました。

「あれは何と読む・・シュンタ? ハルブト?」と建設会社の「春太」という看板を指さしての質問です。看板を注意深く見れば「HAUTA」とアルファベットで書いてあるのが見えるのですが、「春」という漢字に引かれたのでしょう。

「常識的には会社の名前で『ハルブト』というのは無いでしょう。イメージが悪いので。普通はシュンタ又はハルタと言うのでは・・」と回答すると、家族は、なぜか笑い出しました。

「HAUTA」の記載が見えたのと、「ハルブト」という響きが変なことに気づいたからでしょう。歩き過ぎて息切れの私の隣で、息も絶え絶えに笑っていましたが、一息つくと「防衛研究所と同じくらい笑った」との発言・・本当に防衛庁の知人が気を悪くしなかったかと、少々、心配しながら今回の三河国府は終了です。

 

豊川の桜の景色と、青い空と緑の丘に映える国分尼寺跡史跡公園が記憶に残る1日でした。