Episode116 「局長の鞄持ちで外国出張 仕事以外は1人でいたいもの」

2015年3月18日

援護局に異動して間もなく、外国出張に行かないかとの話がありました。
当時は、時間を持て余すような時期でしたから、本来であれば喜んで行くところですが、局長の鞄持ちとの由。

上司との長旅は疲れるものと先輩から聞かされていたので・・私は、即座に断ろうと思いましたが、「忙しい」を理由には断れません。また、出張の目的は、「慰霊碑への参拝と戦没者慰霊施設の視察」と、私の仕事にも関わることで、ますます断る理由がありません。

やむなく「子供が小さいので家族と相談して」と、その場を逃れましたが、所詮は時間稼ぎ・・週末には「鞄持出張」が決まってしまいました。

 

しばらくして、出張日程案を見ましたが、早速に後悔です。

6日間の日程、用務地はマニラ・ラバウル・メルボルン・キャンベラの4か所との強行軍。特に、メルボルンに入るまでの前半の行程は、初日から機中泊と、1日のほとんどを飛行機の中で過ごすようなものです。人の多い閉じた空間が大嫌いな私ですが、局長が、この日程がよいと選択したとの由。選択権のない私は、出発当日を憂鬱な気分で迎えました。

 

早朝、成田に集合し午後にはマニラ着。そこから約100km程度の距離にある日本政府が設置した「比島戦没者の碑(写真)」に参拝に向かいます。マニラ周囲の大渋滞を抜けて、一度、車を停めると、自動小銃等で武装した一団が前後に配置されました。同行の方に聞くと、「慰霊碑の近くは反政府ゲリラも出没する地域なので」とのこと。移動の連続で弛緩した体が急に緊張します。
現地に着くと、天気は良く視界も広がり気分の良い地なのですが、周囲には人影は見えず、かえって警備の一団がいることが嫌な感じを高めます。木が風に揺られただけでもドキッとします。警備側から「長くいると危ないので早く」と促され、献花を終えて、早々にマニラでの大使館との意見交換に向かいます。
しかし、大渋滞に巻き込まれて1時間以上の遅刻。食事をしながらの意見交換も早々に終えて、夜の便でポートモレスビーに向かいます。

 

局長と違って、私は当然エコノミーの狭いシート・・眠ることもなく疲れが蓄積した状態で到着です。
さらに、数時間待ってラバウル行の便です。直行すれば1時間強の距離なのでしょうが、地元の生活便らしく4回ほど離着陸を繰り返しながらの数時間の予定~しかし、その定刻にも遅れて、結局ラバウルに着いたのは既に暗い時刻でした。
ホテルに直行・・やっと寝られると思いきや、上司から部屋に電話です。「北川君来てくれ」
部屋に向かうと「ホテルで○○が欲しい」「明日は○○をしたい」との話です。確か、上司は米国への留学経験、国連での勤務経験があり、外国語には支障はないとの情報でしたし、日頃の温厚な姿からして、きっと足手まといの私の面倒をみてくれるものと勝手に思っていましたが、その甘い夢は当然のように破れました。

 

眠い頭に拙い英語で、長時間かけて上司の希望をホテルに伝えたうえで、現地の同行者に連絡をして明日の手配もセット・・気がついたらYシャツのまま椅子で寝ていました。

翌日の早い朝食も、「各人のペースがあるので別々で」と提案するものの、上司のご希望で一緒に・・本日の行動確認のほかは、特段話すこともなく、気まずいことしきりです。
食事後、当初予定より早めに南太平洋戦没者の碑に参拝、その後、出発便の時間までに、ラバウル周辺の戦跡を車で見ることになりましたが、上司に気を使って、私はガイドの運転する車の助手席に座りましたが、隣のガイドに何回か話しかけたのが不味かったらしく、上司から「少し静かにしてくれ」と注意を受け・・空港まで黙り通したのは当然です。

 

さて、ラバウル空港から何度か離着陸を繰り返してポートモレスビー、そこからメルボルンへも、オーストラリア東海岸で何度も離着陸を繰り返し・・さらに、これら航空便にはビジネス仕様がないため、ほぼ1日、上司と隣あわせという厳しい環境です。
極力、話をしなくて済むようにイヤホンで音楽をひたすらに聞いていましたが、ブリスベーン周辺で上司から話しかけらました。「今、彼女は何と言った」
キャビンアテンダントの言っていることを聴くと「・・coffee or tea・・」。

上司には笑顔で、「たぶん、コーヒーか紅茶かと聞いてます。」と伝えましたが、腹の中では、昨日からの蓄積もあって・・「外国では、何していたの?」と嫌味を言いたい気分でした。

 

メルボルンからの後半日程は、厚生省から総領事館への出向者の同行があり、私のストレスもなくなりましたが、一方で、うまく対応するものだなと感心したことを覚えています。出張者が何を求めるか・・と先に先に考えるということかと思い至りましたが、さすがに、仕事以外の場面でもマンツーマンは辛いものです。

 

その後、出張者を受け入れる中国勤務時代には、出張者の求めるものを先に考える努力はしたつもりですが、自分が出張者になる場合には、仕事以外のストレスを減らすために、この時を反映した自分なりのルールができあがったようです。

出張・移動は原則1人、偉い人とは一緒に移動しない(現地集合・現地解散)
同行者がいる場合は、「車以外の移動は離れた席」、「仕事以外は自由行動」とお互いストレスフリーが基本です。