2015年3月8日
全国戦没者追悼式は、第二次世界大戦の戦没者を追悼する政府主催の式典です。当初は、毎年でもなく、その都度場所も変わっていましたが、1965年からは、毎年8月15日に北の丸公園内の日本武道館で一貫して行われています。
全国の戦没者遺族の参加者は約5千名、遺族以外の参加者は、三権の長をはじめとして、国務大臣、各党代表、衆参議員、地方公共団体の首長、地方公共団体の議長、経済団体、労働団体・・と日本の政治経済の代表者が一堂に会します。
さらに、天皇皇后両陛下がご臨席される・・
私の知る限り、日本で最もレベルの高い式典~儀式であるとともに、こうした数多くの人が式典に時間通りに参加し、何の事故もなく帰ってもらうという最も大規模なオペレーションでもあります。
この式典開催に関する厚生労働省の報道発表資料は、基本的に毎年同じです。
50年も開催される中で、その進行は定番化し、同じ段取・手順を、ほぼ繰り返しているからです。例えば、参加者の入場口は、その区分により分かれていますが、もし、毎年、その場所が変わったら、警備上のチェックを一から行わなければなりませんし、昨年参加した人であれば、きっと何人かは間違えることになるでしょう。そうした些細な変更でも、大きな問題を生じることになりかねませんので、極力、同じことを繰り返すということになります。
平成26年度の報道発表資料をみると、「式典開始は午前11時51分、所要時間は約1時間」という記載があります。
なぜ午前11時51分と分刻みなのか・・、50分のほうが普通なはずです。
それは、正午に黙とうが始まることに意味があります。天皇皇后両陛下がご臨席されて式典開始、最初は国歌斉唱、続いて総理の式辞、それから1分間の黙とうとなりますが、黙とうの時間から逆算して、式典開始が11時51分となるということです。
私は会場の担当でしたが、両陛下の車列が到着する時間が近づくと、明らかに周囲の警備陣の緊張感が極度に高まります。三権の長の到着時の比ではありません。両陛下が到着する前には、警備上の理由から会場入口は閉鎖され、誰も入れなくなります。警備陣の無線からは○○分に○○を通過と車列の移動情報が聞こえてきます。
無事、会場に入られると、次は、式典の司会進行役の援護局の筆頭課長の緊張が極度に高まります。
黙とうの時間を間違えないか・・全国へTV報道されている中で失敗しないかといった不安です。司会役の課長は自分の時計を何度も見ながら、大汗をかきながら時間通りの進行に尽力され、無事、黙とうが終わりました。
続いて、参加者全員が起立して陛下からお言葉をいただくことになるのですが、これも無事終わったと思ったときに事件が起きました。
陛下が席に戻られ着席される前に、「全員着席」の声がかけられたのです。
多くの人は着席しましたが、会場の前に座っている政府首脳は起立のままで、何となく会場がざわついた感じがしました。
私も、最初は何が起きたのかわかりませんでしたが、長年、この式典に関わっている人から聞くと、「陛下が着席されたのを確認してから全員着席と言うべき。」とのこと。
こうした世界とは無縁に生きてきた私は、当時、そういうものか・・と思いましたが、司会進行の課長は、きっと顔が青ざめたことでしょう。さすがに怖くて、この点を課長に聞くことはできませんでした
私なら、暫く立ち直れなかったことでしょう・・・
その後、衆参議長、最高裁長官、遺族代表からの追悼の辞が終わった段階で、天皇皇后両陛下ご退席となりました。両陛下の車列が出発すると、まるで警備の仕事は全てが終わったかのように見えるくらい緊張感が解かれました。分刻みの式典進行もここまでです。
最後の参加者が献花は、それぞれの思いでなされます。それで報道資料の記載は「所要時間は約1時間」と、開始時間とは異なり、大雑把な記載に・・報道資料は、こうした式典進行の前半と後半の質的な大きな違いを示しているのです。
こうした式典の裏舞台を、若いうちに見ることができたのは幸いなことでした。
この時の経験~どんなに経験があり準備をしても必ず失敗はある~ は、今でもリスク管理を考える際の基礎になっています。