Episode114 「初めて部下を持つ 思い通りにならないことに悩むのも仕事」

2015年2月28日

現業部門の援護局は法令担当が少ないばかりでなく、新入職員の配置も2年に1人と「特別扱」でした。

 

他局は、毎年1名が配置されて最低2年は同じ局にいますので、必ず1年生と2年生がいる・・その結果、1年生の仕事は2年生が1年前に行っていたという先輩後輩の関係ができ、2年生の助言で1年生の育成が図られるという体制でしたが、援護局では、そうした関係が構築できず、1年生が配属されると係長の負担が重くなり、2年生がいるときは係長の負担が軽くなるという現象が起きていました。

 

私の場合には、係長になった途端に、2年生が異動となり新入生が配属されるという立場になりました。援護の前職である大津市勤務のときも部下の立場の人はいましたが、いずれも大津市で長年働く40歳前後の人ばかりであり、どちらかと言えば、私が教えてもらうことが多く、実質的に、育成対象となる部下を持つのは初めてでした。

 

新入生本人も「社会保障制度を変えたい」という志望動機とは大きく異なる、戦後処理担当の現業部門である援護局への配属には不満が強くあったようであり、モチベーションが下がった状態から始まりました。私も、最初の配属先を聞いた時には、「もう辞めたい」と公言した経験がありましたから、いずれ何とかなると高を括っていましたが、全く思うようには行きませんでした。
 他の課の人とのコミュニケーションが良くなく苦情や不満が私に届く
 私が仕事の間違いを指摘しても不満そうな対応~また翌日には同じ間違いを繰り返す
 知識不足が原因と考えて、必要な資料集を読み理解するよう指示するも読んだ気配なし
 対応が甘いかと思い、厳しめに意見を言うとその後しばらく席をはずして仕事が停滞する
 関係改善を図ろうと飲みに連れて行くと店の女性に失礼なことを言って私が謝ることに
 本人の意欲向上のため組織変更の政省令改正案の作成を依頼するも基礎的な勉強をしない
といった状況が続きました。

 

それぞれの事象の背景にある本人の意識や周囲の状況を私なりに分析し推測して対応を変えては行ったのですが、それは本人の怪我で中断しました。
昼休みに行われていた各局対抗のバレーボール大会に参加し、何と、アキレス腱を断裂し、そのまま病院送り・・長期不在となったからです。ちょうど、組織変更の最終段階~組織令改正の段階でしたので猫の手も借りたい時の怪我に、さすがに私も、不慮の事故とはいえ唖然としました。また、アパートの一人暮らしのため生活も満足にできないということで、転院して病院療養を一定期間するとの情報にもコメントできませんでした。仕事が忙しいことを承知で長期入院をするという判断は、私にはできないからです。

 

組織令改正の仕事も一段落した頃に、彼は出勤するようになりました。足は包帯で巻かれたままでしたが、私から、「不慮の怪我ではあるが、忙しい時期に、私的なことで長期入院をするような者は、ここに居場所はない。よく自分の行動を考えろ。」と伝えました。
こうした常識的なことを伝えることが彼の成長のきっかけになると考えたからです。改善は難しいと諦めて、仕事は自分で全てやり、自分の異動時期を待つ・・という選択肢もありましたが、あえて厳しい道を選んでみました。

さすがに、自分なりに考えたのでしょう。その後、少しずつでしたが、仕事の質が確実に上がったことは間違いありません。ただし、私の後任の係長が満足できるような成長水準であったかはわかりません。
彼の能力を短期間で引き出せなかったことは残念でしたが、その時、考えて行動した結果~大概が失敗でしたが~ その時の経験が、部下を持った際の自分の今の考え・・1人前の仕事を要求するのではなく、現状より0.1人分仕事ができるようになるため、自分が1.5人分の努力をする・・の基礎となっているようです。

 

その彼は、いくつかの課を経験し地方出向を経てから、某大学の教授として転職しました
当時、私に、人に関わる力が十分にあったら、彼の人生は変わっていたのでしょうか。