Episode112 「組織を代表して外部の人にNoと言うのも大事な仕事」

2015年2月8日

援護局(当時)は、厚生省では唯一の現業組織でした。

遺骨収集・慰霊巡拝、中国残留邦人の帰国支援、軍人軍属の身分確認(恩給・年金支給のため)など、第2次世界大戦の処理業務を行っていたため、戦後処理=厚生省のイメージが定着していました。

しかし、戦後処理の業務は、各省庁とも組織的沿革で何かしらの業務を持っている・・軍票処理(軍の発行した紙幣・債権)は大蔵省(当時)、防空壕処理は建設省(当時)、引揚船の運航は運輸省(当時)などです。
厚生省は、いわゆる復員(軍人を本国に戻して身分を解く業務)や引揚(中国在住の民間人の帰国支援業務)を担当していた延長線で戦後処理の業務を行っているとの立場でした。

 

復員・引揚業務は、敗戦後、外国にいた約600万人の日本人を本国に移送(写真)し生活を支援するという壮大な業務でしたが、復員は、旧陸軍・海軍省の流れをくむ第1・第2復員省~復員局、引揚は、社会局引揚援護課~引上援護院と、二つの組織で担っていたものが引揚援護庁という一つの組織で担うこととなり、それが援護局(当時)に繋がっており、この沿革を超えることはない~遺骨収集・慰霊巡拝、中国残留邦人の帰国支援等は、当時帰れなかった人を探す、慰霊する等という考え方です。

 

さて、在職した平成3年~5年当時は、戦後処理にまつわる訴訟が多数提起された時期でした。間もなく戦後50年という節目の年であり、関係者も高齢化しているという背景もあったのでしょう。例えば、昨今、朝日新聞の「誤報」でとりあげられている従軍慰安婦に係る訴訟も、提訴は平成5年ですが、この対応に当然のように巻き込まれました。
訴訟遂行を担当する法務省が、少しでも関係のありそうな省庁を呼んで会議が行われます。

その一員として私も参加するのですが、他の省庁は課長補佐クラスが参加、私だけが係長・・援護局は小所帯で課長補佐が少ないという事情もあるのでしょうが、違和感はあります。

 

会議では、本訴訟に関するそれぞれの立場を説明するのですが、各出席者とも、「当省は、この訴訟に関与する立場にありません。」という意見を表明します。そして最後に、私に順番が回ってきます。他の戦後処理訴訟でもそうでしたが、なぜか厚生省は、どこに座っていても最後に指名される役回りです。
そこで言うことは、いつも通り、「厚生省の担当業務は、復員・引揚の身分関係業務だけであり、本件に関する対応を行う立場にない。ただし、ただ、旧陸海軍の保有する身分関係資料等を引き継いだ経過はあるので、その面での資料提供は行います。」との回答を繰り返します。国の役所は縄張り争いが激しい~権限争いがあると言われますが、こうした例は、その逆・・消極的権限争いと呼んでいたものです。

 

こうした誤解される立場は、訴訟外でも起きました。
従軍慰安婦訴訟を提起したメンバーが、白装束で厚生省に押しかけて混乱する・・彼女たちに情報提供していた日本側グループの間違いでしょうが、来られた厚生省側は大混乱です。
また、某政党が主催する議員会館での従軍慰安婦問題の会合に出席を求められたこともあります。当初はお断りしましたが、国会議員からの説明要求と言われて断りきれず、1年先輩の補佐と出席しました。私たちは会議を傍聴する形でしたが、会議が進むうちに白装束の方々が泣き出すなど、主催者が予想もしないような混乱となり、困った主催者が、私たちに、この場を収束させるため、「厚生省として調査を約束しろ」と言ってきました。
当然、「軍の行為を厚生省が調査する立場にはありませんので、ここで調査を約束することはできません。」と回答しましたが、その場で何度も「圧力」をかけられることに・・
最終的には、主催者側が、「我々が政府に調査・補償の実施を約束させる。」と発言して終了しましたが、当時、この議員たちのことを、「どの国の代表なのだろうか・・」と違和感を持って見つめたことを記憶しています。

 

誰しもやりたくない仕事に関わるのは嫌なものですが、誰かがやるしかありません。
しかし、できもしないことを、軽々に「やる」と言うのだけは、できないものです。