旅の楽しみ46:友人夫妻と安房国から富士山を眺める(国府散策) 

2015年2月2日

今回は、友人夫妻と我が夫婦4人で安房国国府を訪問です。

 

30年近く前、旧厚生省で一緒に働いた人ですが、今は大学教授。当時、たまに子ども連れで自宅に遊びに行ったりしていましたが、中国赴任後は、しばらくご無沙汰・・しかし、彼が家族との時間を増やすために仕事を減らしたこともあり、昨年から夫婦同士の交流が復活しました。
彼の奥様が、海産物が好きということもあって昨年は大洗、今年は安房へ、日帰りの小旅行です。

 

昨日までは、福井への来客者2名のアテンドで雪の越前・若狭を車で移動していましたが、本日は快晴の中を安房に向かいます。安房国に関わる神社仏閣周りを中心とする、市販の観光ガイドブックのお薦めにはない企画です。
車中では、当方の奥方が、「最近の学生はどうですか・・」、「就職状況はどうですか・・」などと、彼を質問攻めにしています。そのうち1/3くらいは、昨年、大洗行で聞いたような気がする・・話題ですが、それでも一つひとつ丁寧に回答する「大学教授」の姿は、よき教育者なのだな・・と実感させます(質問者も回答者も、単に、大洗の際のやりとりを覚えていないだけかもしれませんが)。
しかし、「多くの学生は2百万程度の借入金(奨学金の返済義務)を持って卒業するため福祉の仕事に就かない人も多い」、「大学も本人も国家資格取得に気を取られ、政策を客観的に考えるなどの思考方法を持つ人が育ちにくいのは残念」など、教育現場での実情を聞くと、医療や福祉の未来の人材は大丈夫なのか・・SWなど実際に現場で働く専門職の実践力の弱さを感じる私としては、やけに心配になってしまいます。
また、お互いの子供同士を結婚させて親戚になるなどのバカ話もあり、2時間弱で安房国に到着です。

 

これまでの近江、常陸、上野とは違って、安房では国庁跡は見つかっていませんので、「府中」という国府の所在を示す地名の中心にある宝珠院の参詣から始めて、続いて安房国分寺へ。いずれも梅が咲き始めています。
さらに花摘みのため沿海部へと向かいます。いずれの地でも、自由行動が原則の我が家とは異なり、友人夫妻は、奥様が健康面の不安もあることから、いつも一緒に歩いていましたが、なかなかできないことと感心。

奥様は、同窓会で「私が良かったことは、自転車に乗れるようになったこと(子供のために)と、彼をつかまえたことの二つ」と発言したとのことですが、その気持ち、わかるような気がします。ただ、「自転車に乗るのと同レベルというのはチョット・・」と苦笑いの友人の気持ちもわかります。

 

昼食は、海産物の好きな奥様のため、相浜漁港の近くに車を回すと、海の向こうに白い富士山(写真)が見えます。途中、首都高から富士山が見えましたが、手前の山やビルで遮られないせいか、ここでは富士が大きく見えます。
富士山が見える近くの店に入りましたが、聞くと、本日は少し霞んでいる・・昨日は、朝から夕方まので、くっきりと海の向こうに大きな富士山も伊豆大島も見えたとのこと。確かに、昨日、小松空港から羽田空港への移動中に、機中から房総半島の向こうに富士山が綺麗に見えましたが、連日、富士山を見るとは思いませんでした。少々、得した気分です。

 

そこから、一宮安房神社、総社鶴谷八幡宮に参拝となりましたが、安房神社では私を除く3人は展望台に上り、さらに富士を背景にした館山市街を一望したようです。坂が苦手の私は、1人境内に残りましたが、「忌部氏(古代の技能集団)」という記載があちこちにあることを不思議に思い、ご由緒を改めて見ると、「阿波の忌部氏の一部が当地に移動した」という記載を発見。さらにスマホで調べると、忌部氏は布の原料となる麻を当地もたらしたと伝えられ、その麻のよくできた所を「総の国(二つに分かれて上総・下総)」と、阿波忌部氏の移住した本拠地を「阿波」と名づけ、その後天武天皇の頃に、「阿波」が「安房」に改められたとの由。阿波と安房は同根という新たな知識を仕入れて、少々得した気分です。

 

帰路の途中、アクアラインの海ほたるで、夕日の中に、またも富士山を見る幸運に。昨日までは白山も見えない雪と海の花の舞う越前・若狭・・本日は快晴の富士と花摘みの安房・・改めて北陸道と東海道の季節の進み方の違いを感じる1日でした。
機会があれば、安房国からみる夕日の富士山を見てみたいものです。

古代、黒潮に乗って阿波から来た技能集団の伝説の長~天富命(あめのとみのみこと)のように。