Episode110 「1年間の修行後・・予想外の展開に驚く」

2015年1月18日

慰藉施設の仕事は、政治的にも完全に止まっており、私を含めてチームの数人は、1年間、完全に遊休状態・・当然、次の4月に私の臨時ポストは不要というのは自明のことでした。
また、当時の私は、まだ「初な若者」で、人事当局を疑うようなことはありませんでしたので、1年前に聞いた「1年だけの仕事」という言葉を信じ、他部局へ異動するものとばかり思っていました。

 

しかし、人事とはいい加減なもので、何と私は、法令係長として援護局庶務課に残ることになりました。さらに悪いことに、1年間、完全に休止していた慰藉施設の件が動き出す気配が出てきました・・。

当時、厚生省の組織再編~社会局と援護局を統合し、老健局を新設することが進められていましたが、この社会局と援護局の統合に関して、政治的に消極的な意見がありました。当時は、まだ戦後50年も経っていない時期でしたので、戦没者の慰藉等を担当する組織が局でなくなることに抵抗感が強かったのでしょう。その際に、例の慰藉施設のことが浮上してきました・・本来、何の関係もないはずなのですが。

急遽、予算確保などの前向きの対応を図ることが確認され、用地確保、施設建設の予算確保等の仕事が一気に動き出しました。昨年は、何もないのに人がいて、今年は、仕事があるのに人がいない・・いずれも当事者は私。何と因果なものかと思ったものです。

 

最大の問題は用地確保でした。

最終的には、九段会館(写真)が建つ国有地しか選択肢はなかったのですが、この土地には、都市計画法上の都市公園の計画決定があり、2階建ての小さな施設しか建てられないという制限がありました。この土地を有効活用するには、どうしたら良いか・・ここが知恵の出しどころでした。
東京都に日参しましたが、当然、許認可する部局ですので、積極的なアイデアを出してくれる訳ではなく、当方が持っていく案に対して、適否を判断するという姿勢でした。やむを得ず、滋賀大津時代に付き合っていた都市計画部局の知人に相談し、周囲の状況等を説明しながら、どのような案が考えられるかと意見交換を重ねた結果、一つの案を捻り出しました。

 

施設の建設中は都市計画法に抵触するものの、最終的に当該用地と施設を、北の丸公園などの「国民公園」の一部に追加するとの手続きを経ることにより、合法的なものになる「可能性がある」というものでした。
いかにも細い筋でしたが、これを本線にするしかありませんでした。
私が東京都の都市計画部局に相談に行き、環境を整えることから始まりましたが、これと並行して、法令係長としての仕事も一人前以上にあるのですから、毎日2人分、働いている感覚でした。援護局での、初めの1年間は座禅のような修行とすれば、次の1年間は滝行のような荒行かもしれないと、当時、思ったものです。

 

さて、予算要求に必要な東京都との土地利用に関する大枠の合意(最終的には予算確保後の建築許可等の段階で詰める手順)を得ることもでき、前年度末に自分で作った展示企画書を活用しての予算説明資料を作り、何とか予算枠を確保することに成功したのは、春のいい加減な人事から概ね8か月を経ていました。

滋賀大津での都市づくりの経験や都市計画部局との人間関係が、こうした形で役に立ったことは、心底、ありがたいと思ったことを記憶しています。

 

しかし、この仕事を通じて、医療や福祉の面整備の議論(都市づくりの視点から)ができる人が、厚生省内に一人もいないことがわかり、少々、ショックだったことも覚えています。

それから25年を経ましたが、その面の課題は、残念ながら、今でも変わることはないようです。