Episode109 「地方から国に復帰 何もしなくて済む生活を1年間を経験」

2015年1月8日

厚生省に入省して4年目の平成元年4月から、滋賀県大津市に出向し、市長の近くで2年間の地方公務員生活を送る機会を得ました(その時の模様は改めて)。
そうした得難い経験を経ると、次の人事では、大概、忙しい所・大変な所での勤務を命じられるのが国組織の傾向です。私も、当然そうなるだろうと覚悟していましたが、現実は大きく異なっていました。

 

命じられたポストは援護局庶務課の主査・・前任者のいない臨時のポストです。
当時、援護局は、いわゆる戦没者の慰藉等の戦後処理を担当する部局であり、定型的な改正以外に大きな制度変更があるわけでもなく、また、当該庶務課には1年先輩の係長がいて通常業務は問題なく処理をしており、私が必要である理由は見当たりませんでした。

配属の辞令を受けるために、当該庶務課に顔を出すと、私と同じく「何をするのか・・」と不審な思いの人が2~3名いました。どうも、ある仕事のために、複数の人間が呼び集められたようなのですが、当日、誰からも何をするのか・・については、何ら説明がありませんでした。ただ、私には「1年だけの仕事であり、この仕事に専念すること。」との・・臨時に人を置く際に、官房人事課と約束したと思われる事項が伝えられました。

 

何もわからないので、1週間くらいかけて、あれこれと「取材」をしたところ、
ア 戦没者の家族のための慰藉施設を建設する検討会が過去何回か開催されていること。
イ 関係議員から、そろそろ本腰をあげて実現に動くべきと働きかけを受けていること。
ウ 次年度には、予算要求したいと考えた庶務課長が、とりあえず人を集めたこと。
エ しかし、事業企画立案、建設用地候補などは、現時点では、実質なにもないこと。
オ その検討を行うべき検討会のメンバー構成等も何も決まっていないこと
といったことがわかってきました。

 

露悪的に言えば、「対外的に頑張っている形を見せるために人を集めただけ」であり、既に4月の段階で骨子すら一切ないのであれば、「次年度の予算計上は、不可能である」ことは自明でしたので、チームの話題は、「この1年、何をするのか・・」ということでした。
本件のチーム責任者は別にいましたので、私は指示を受けて動く立場でしたが、何日経っても何の指示もありません。したがって、毎日を無為に過ごすことになります。
人間、何もすることがないと苦痛です・・やむを得ず、当時、仕事上必要と職場に置いていたPC(自分で購入)を使い、時間潰しとしてシミュレーションゲームを始めることに。

 

最初は慣れないゲームなので、終了までに時間もかかりましたが、暫くの間で、ゲームに慣れて、午前で1回、午後で1回は、勝利でゲームを終えることができるまでに。そのうち、三国志、信長の野望など、ビッグネームのゲームを持ち込むまでに・・
誰しも、こうした状態はまずいとは思いますが、何せ、やることが何もない・・しかし、そのやることのない仕事に専念しろとの制限がついている・・明らかに人事異動の失敗なのですが、今さら変えるわけにもいかない・・という不思議な状況でした。

 

このまま、遊んで1年を終えようかとも思いましたが、次の体制のために、翌年の2月頃から、ある企画書の作成に着手しました。それは、慰藉施設の展示に関するもので、これがあれば、一応、予算要求の基礎にできるものでした。客観状況から、実現は難しいと見てはいましたが、それでも最低限の責任は果たすという意識はあったのでしょう・・
2年間の地方生活で得た知見を国の政策に反映したいと考えていましたが、結局、意味不明の人事異動に巻き込まれ、1年を棒に振ることになりました。しかし、この時の経験から、その後、「仕事のために人を増やして欲しい」とは言わなくなった(1回の例外を除き)と思われます。

 

今では考えられない状況ですが、1年間、何もしないというのは、結構な苦痛であることは間違いありません。