Episode107 「自分が病気に倒れた時 仕事が完全に止まることがある」

2014年12月18日

交通事故の後遺症のため、今月初に1週間入院しましたが、その前の50年の人生でも、入院は1度だけでした。それは保険課補佐の時です。

 

当時、同期や1年後輩の中でゴルフを始めた人が多かったことから、忙しい合間を縫って休日に2組の対抗戦を企画しました。当日朝から咳が出て風邪気味か・・と思いましたが、私は幹事役でしたので、早朝に家を出て、千葉のコースで皆さんの到着を待ち無事スタートとなりました。
陽に当たれば咳が止むかと思いきや・・次第に咳が激しくなるばかり。9Hを終えた段階で、プレー続行を諦めて一人自宅に向かいました。移動中も息苦しいのは強まるばかりで、自宅前に着いた頃には、車を降りるのも難しく、這うように自宅玄関に転がり込みました。

 

息苦しく話すこともできず、玄関先で臥せっていると、出てきた家族は、私がふざけていると思ったらしく・・笑い出しました。笑われても返事もせず、うごめくだけの私の状況から、やっと状態がおかしいと気づいた家族は、救急車を呼ぼうかと言いますが、さすがに気が引けて、家族とともに近所の休日診療所へ・・しかし、そこでは診断ができずに、救急車で公立病院に移送となりました。
救急外来で待たされた挙句、出てきた医師は心臓外科医・・心筋梗塞等と思い込んだらしく、あれこれ心音を聞いたりして「問題ないな・・」と繰り返すばかり。しばらくして、内科医らしき人が出て来て、「これは喘息発作ですね」と即断して点滴をすると、今までの息苦しさが嘘のように引き、普通に歩くこともできるようになりました。

 

そのまま帰宅かと思いましたが、病院側から念のため入院をと言われ、家族も心配の様子なので入院となりました。翌日は、採血等を行うだけで、具体的な説明もなく、一日を終えて、また一泊です。さすがに働くサラリーマンとしては、先の見通しがないと仕事に差支えが出ると、病院側にめどを聞くものの、はっきりした回答はなく、「検査結果を待って」と繰り返すばかり。
やむを得ず、役所には、「喘息で入院したが、退院の目途はわからない(病院次第)」と連絡したものの・・変な話と思うだろうなと考えるばかりでした。

 

さて、翌日、病室に課長が現れました。私の病状を心配してのことと思いますが、丁度、食費負担の検討が佳境に差しかかっていたので、それに支障が出ないかという心配もあったのでしょう。仕事の話をひとしきりして課長は病院を出ましたが、その後姿を見送りながら・・そう言えば2年生のときに風邪で3日ほど休んだ時に、上司の補佐からお見舞いの電話があり、結局は、仕事の催促(審議会の議事録作成)だったな・・思い出していました。

結局、退院したのは金曜日の夕刻、病院からは「脂肪肝ですね」との説明を受けましたが、それは数年前からわかっていることで、これで1週間も入院させるのは理解できないと・・病院不信が高まったものです。

 

翌週から出勤となりましたが、入院前と仕事の状況は変わっていないことを確認しました。

締切りは同じなのですから、作業等をする時間が減っただけ・・入院前以上にきつい状態の仕事となり、さらに病院不信が増幅されました。病院の無駄な行為で酷い目にあったという認識です。
何とか、締切りには間に合わせましたが、1週間の入院のお陰で、若手チームの案は、当初思っていたより病院にとって厳しいものとなっていたのは、やむを得ないことでしょう。もちろん、幹部との意見交換の中で、そうした棘は削り落とされましたが・・

その後も、体調が悪くなり休みたいと思うことも何度かありましたが、仕事が忙しいときには、休むことなく、また診療を受けるのも拒否して出社を続けました。この時の病院不信もありますが、自分が休んでも、結局は、そのツケは自分で払うのだから、かえって大変という経験に基づく判断があったからです。

 

自分が病気に倒れた時 仕事が完全に止まることがある・・が教訓です。
もう一つ言えば、仕事の遅れを取り返すには病気以上に辛い目にあうことが普通・・です。