2014年12月8日
国会で法律改正案の賛成を得るのは、シニア補佐以上の方々の仕事ですが、それが終わると、次は若手補佐・係長の施行業務です。
この時の制度改正の施行は、通常4月に行われる診療報酬改定とは別に、制度改正財源を前提とした第2弾の診療報酬改定と同時期に行われ、かつ、法律成立後、間もない10月に施行予定という難しい条件下にあるものでした。また、改正案が、従来より患者負担を増やすものでしたので、一定の法案修正も予測されたことから、早々に施行準備に入るというわけにもいかず、改正法成立後、短期間で集中して施行準備を進めることも求められていました。
しかし、私は、国会審議中も政府委員として答弁に立つ保険局長の後ろに座って、資料整理・準備等の役割も担っており、その日の国会が終わると、また翌日の答弁準備という自転車操業状態・・その結果、施行業務の事前準備をすっかり怠っていました。初めての大きな制度改正という「言い訳」はありますが、単に、未熟さを露呈しただけのことです。
改正法成立後に、はじめて施行業務のリストの作成に着手しましたが、改正法に基づく政省令の作成・施行、各団体へ新制度を説明するための資料作成の他、予想もしなかった医療機関が患者に負担変更を説明するためのポスター作成(医療団体からの要請を受け)など・・課題の多さに驚きました。
さらに法案作成では各課が連動していましたが、施行業務になると、担当する相手が違うことから、各課は別々に行動を始めます。当時の保険課は小さな所帯でしたので、私を含めて実質4人~うち1名は4月に入ったばかりの新入生という体制で、これらの課題を処理することになりました。しかも、私は9月から中国赴任のための外務研修が始まる予定でしたので、8月いっぱいで準備を終えるために焦っていた・・と、今ならわかります。
大蔵省から出向の係長と相談して、1年生を含めて割り振りを決めて作業開始となりましたが、予定通りには進みません。優先順位は省令改正~これもカタカナ条文なのですが、組織上、法制局に相談もできませんし、官房総務課も明確な回答は帰ってきません。今でも記憶に鮮やかなのは、訪問看護で実費負担が可能なオムツ代をどう書くかで長時間議論したことです。カタカナ文なので「オムツ」はおかしいが、漢字の「御襁褓」は法令で使える当用漢字でない・・最終的には、カタカナとしたと記憶していますが、こうした技術的な問題が続きました。最後は時間がなくなり、私が、現状の条文を見ながら改正後の条文を考え、そこに至るための改正条文案を、その場で考えて読み上げ、これを係員が筆記する・・いわゆる口述筆記という状態にまでなりました。
後日聞いたところでは、私の読み上げ案は、8割程度は、そのまま使えたようで、人間その気になれば何でもできるものと思う一方・・ただ、その時に、1年生の心身の不調に気づかなかったのは残念でなりませんでしたが。
さて、8月中には、9割近く施行準備を終え、恥ずかしくない水準と考え、後任者に仕事を引継ぎ、私は外務研修に行きました。研修も、既に書いたように辛い日々でしたが、それでも施行状況が気になり、10月に入って後任者に状況を聞き愕然としました。
彼の回答は、「施行は何とか終えたが、1年生が体の不調を訴えて休んでいる。」でした。
思い返せば、夏の時点で、発注した仕事が手つかずのこともありましたが、その時は個人の経験の問題かと思うばかりで、1年生の健康には意識が行っていませんでした。彼の同僚である係員に確認すると、夏の段階で、既に応対もおかしな感じがし始めていたと聴き、さらに力が抜けました。
私の未熟さで、事前準備がなされないまま、いきなり大量の仕事の完成を短期間で求められ、また、自分のことで手一杯の私の十分なサポート受けられないまま、自分の作業効率が上がらないことを真面目な1年生は悩んでいたのだろう・・と容易に想像できました。
その後、彼は長期の病気休暇後、人事課付として復帰。いくつかのポストを経験したようですが、最終的には厚生省を辞めることになりました。
実は、私は彼の採用担当でもあったことから、私自身のショックは大きなものでした。
彼のキャラクターを知っている採用担当なのですから、彼のことを考えて、丁寧に事前準備をすべきであった・・と反省しても、時間は取り戻すことはできません。こうした苦い思いは、その後の私の仕事に活かすしかありませんでした。