2014年11月8日
3年間の在任中、仕事以外でも、家族とともに中国内をあちこちと出かけました。当時の北京在住の日本人の中には、地方に出ることなく赴任期間を終える人もいたようですが、我が家は様相が違いました。
1年目は北京郊外に出るのも恐る恐るの感じでしたが、中国生活に慣れた2年目からは、中国赴任前の年1回程度の家族旅行の頻度を超えて、積極的に旅行に出るようになりました。私自身の「全省制覇の野望」もありましたが、配偶者のいろいろ見てみたいという気持ちも後押しになったのでしょう。
最初は内蒙古への1泊2日でした。内蒙古といっても「広大な草原を行く」のではなく、省都呼和浩特から車で数時間の郊外で疑似的な草原生活を過ごすというものでした。
呼和浩特は北京からは1時間強のフライトですので、東京~大阪を飛行機で移動するのと同じことですが、行った先には草原以外には何もないというのがポイントでした。自然や虫が好きな配偶者は、見慣れない草花を見つけては喜んでしましたが、小学1年生の長女は、草原にいる虫を嫌がっては泣き叫び、羊の糞を見ては後ずさりと、怯えた行動を見せるのを私は笑って見ていました。一方、何にも動ぜず泰然とした次女(幼稚園)の姿も印象的でした。
この時の雰囲気は、今でも家族旅行の際に垣間見えるのが面白いところです。
内蒙古行に成功したことから、その後、家族の希望を聞いて、家族だけで定期的に旅行に行くようになりました。西安などメジャーな地域が中心でしたが、徐々に移動時間が長くなり、最後の敦煌は外国に行くのと同じくらいの時間がかかりました。そうなると幼い子供のことが心配になりますが、そこは2人の娘ということで、普段は愛想の悪い中国人の客室乗務員やホテル従業員も笑顔で、いろいろと気を遣ったり、遊んでくれたりします。北京と同じく、旅先でも子供に助けられることが多数ありました。
ただ、雲崗に行ったときは大失敗でした。一度列車で移動してみたいという好奇心もあり、夜行列車利用をしたのですが、現地旅行社の切符の手配が杜撰でした。個室予約でしたが、残念ながら現地で渡された切符は、相部屋の寝台で、かつ席はバラバラ・車両も違うというオマケつきでした。やむを得ず、私は最も状況の悪い席に行き、残り3人は一つの席で一緒にいることにしましたが、さすがに子供も「怯えていたようだ」と後から聞きました。
また、中国語研修が同じだった方の音頭取りで、複数家族での旅行も数回ありました。
個人的には、他の人と一緒に旅をするのは好きではなかったのですが、皆さん同世代の子供を持っていることから、子供同士で遊んだり、子供好きの方が全員の面倒をみてくれたりと、実際には、結構、楽なことがわかりました。
三峡下り(確か2泊3日)では、通常、1日数度は、船を降りて観光をしたりするのですが、私は、ひたすらベッドに横たわり、家族の世話は他の方にお任せして、船に持ち込んだ文庫本を読みふけっていました。本の題名は三国志(写真)。赤壁など、本に書かれている地が間近にあるのですが、一人でゆっくり時間を過ごすという「贅沢」を優先していました。
その間、子供たちは、船内イベントで大活躍~船員達の人気者になっていました。親は無くとも子は育つといったところでしょう。
もちろん、大勢の旅だと何かとトラブルはあります。宿泊先の部屋から見える景色の違いで部屋割が揉めたり、ごく少数の方が航空便で預けた荷物が出てこずに全体が長時間待たされたり、日本で有名な方を空港内で見つけ写真を求める奥様方の長蛇の列ができたりと、個人的には嫌な思い出もありますが、今では、懐かしいものです。
不思議なもので、こうした嫌なこともよく思い出しますが、これも現地の生活を楽しむよう努力したからでしょう。
嫌な記憶も残らない単調な生活など、つまらないものです。
(中国編は 今回で終了です。)