2014年9月28日
西寧から乗った飛行機では、客室内で鶏が何羽も鳴いていました。
当時は、青海省から西蔵自治区への鉄道も完成しておらず、生活物資を運ぶには、飛行機が主力であったことが反映しているのでしょうが、何でもありの中国でも初めての経験でしたので、同行の3人全員が目を丸くするばかりでした。
拉薩貢嘎(ラサ・クンガ)空港に着くと、西蔵自治区の衛生部長他の出向を受け、日本製のランドクルーザー(日本からの無償協力)2台に分乗して、滔々と流れる大河沿いの道(もちろんガードレールはありません)を、時速100km近い速度で拉薩に向かいました。
私は西蔵自治区衛生部長と同じ車両に、JICA・中国衛生部の2人は別の車両でしたが、この拉薩に向けての約100kmの道中で、既に耳鳴りと頭痛が始まりました。もちろん高山病の兆候もあるのでしょうが、車内で衛生部長が訛りの強い中国語で話し、それを通訳が訛りの強い英語で話すという状態が1時間以上続いたことも原因です。さすがに、違う言語を同時に話されると辛いものです。その日の夜は、深い眠りにつくこともできず・・翌日の朝を迎えました。
その日は予定時間通り拉薩を出発。最初は整備された舗装道路でしたが、しばらくすると未舗装の道路に入り、そのうち川なのか道なのかわからない場所になりました。聞くと雪解け水の多い時期には河となる場所を走っているとのことです(河のときには通行不能との由)。
また最初の休憩の場所で、なぜ少人数なのに2台で走るのかと聞くと・・人の住んでいない地域が続くので、もし車が故障したら手の施しようがない(夜には夏でも凍死の危険がある由)ので、常に動くときは2台セットとのこと・・数多くの地方出張でも初めて聞く話で、西蔵のリスクを教えられました。
さらに4千mを超える峠で休憩とりましたが、富士山ほどの高さの雪山の高さを聞くと8千m程度との回答。居る場所が4千mなので当たり前なのですが、世界最高峰の山々のイメージと違うな・・と思いながら車に乗ろうとすると、息が切れて車に乗ることができません。これが高山病の症状かと思いましたが、これも西蔵のリスクと実感しました。
半日ほどで、「西蔵結核病控制中心(チベット結核コントロールセンター)」という目的の施設に着き、日本の無償資金協力で整備されたという掲示をみながら、現地の利用状況を確認しました。他に医療施設もなく、さすがに、よく利用されているようでした。
また、近くの集落を歩きながら現地の状況も聞きましたが、一目、貧困と思われる住宅状況を見て、思い切って近隣の家に入れてもらえないかとお願いしました。中国側で、しばらく相談がありましたが、一家4人が住む家に入ることができました。電気もなく、いかにも質素な住まいでしたが、二人のお嬢さんの笑顔が愛らしく、幸せな家庭であることが伺える雰囲気でした。地元のお茶を飲みながら普段の生活ぶりなどを聞きましたが、数少ない現金収入も、来世のために寺院に喜捨するとの話は印象に残りました。西蔵仏教の影響のでしょうが、拉薩のポタラ宮の前で「乞食」をする子供も、そのお金は、ほとんどを寺院に喜捨すると聞いていたことと相まって、宗教と政治、来世と現世、心の豊かさと生活の貧しさ・・西蔵問題の根の深さを実感する時間となりました。
予定の日程を終えて、拉薩に戻る途中、年に数度の市に遭遇(写真)しました。普段は何もない場所らしいのですが、あちこちから人が集まり交易をするとのこと。当日、数多く見かけた放牧の毛牛(ヤク)も、ここで取引されているようでした。
先ほどの一家と同じく、決して物質的には豊かではありませんが、彼の見せる笑顔の素晴らしさは、人の幸せとは何かを考えされるものでした。
あれから、20年近くを経ても、あの時の問題には未だに答えは出ていません。
いずれまた西蔵に行き、彼らに会うと何かを掴めるのかもしれません。